今日は前回に引き続き、聖書の読み方の変化によって気付いたことを書く。これは以前通っていた教会での字義通り解釈から離れ、註解書やキリスト教書等を参照しながら、ゆっくりじっくり聖書を読むことで引き起こされた気付きである。またそうした字義通り解…
前回は聖書の読み方が変わったという話を書いた。そのせいなのかどうか、どうしてなのかという分析は省くが、新たに聖書の内容について気付いたことが多々ある。その中でも大きな枠として、①福音書の物語の中に書かれた政治的背景と、②パウロをどう受け止め…
まだまだ続く、私がいままで知らなかったキリスト教。 私の場合、「いままで知らなかった」というのは、「異文化だから」とか、「馴染みがないから」という理由ではない。以前通っていたプロテスタント(聖霊派)教会での生活が、非常に偏っていたゆえである…
今日は前2回の投稿に続いて、最近通っている講座や聖書の学びから、以前通っていたプロテスタント教会での経験を振り返ってみたい。 以前通っていた教会では、週一回の礼拝や、弟子訓練セルグループという少人数の教会外での集まりで、②で挙げたような「正し…
今日は前回の続きである。 カトリックの神父による講座や、今参加している聖書の勉強会と、私が知っていたプロテスタント教会やその界隈との違いから感じたことを書いてみる。 前回は、①「神」という語が出て来る頻度が違う ということを書いた。今日は② 枠…
さて、前回の投稿で書いたカトリックの神父による講座や、今参加している聖書の勉強会について。 私が知っていたプロテスタント教会やその界隈と、以下の点が違うと感じた。 ① 「神」という語が出て来る頻度 ② 枠はあるが内容をこと細かに指示しない ③ 自己…
なんと2016年に一回記事を投稿したあと、さらに一年が経ってしまった。 二年前に、自分の知っている教会がすべてではない、キリスト教を理解するには、私が自分の知るプロテスタント界隈で得た経験や知識では足りない、むしろ理解を妨げていたかもしれない、…
なんと前回ブログを更新したのは2015年12月であった。 半年近く間が空いてしまったので、その後の私の気づきや変化、とくにキリスト教信仰と関係のある個人的な話を書いてみようと思う。 去年は新たに顔を出していた教会で、総会というものがあり、誰でも歓…
お百姓見習いのトンちゃん様という方が書いていらっしゃる、「どこかに泉が湧くように」というタイトルのブログを拝見し、2013年2月に書かれた記事が、今の私が持つ感覚とよく似ていると思った。http://spring496.blog.fc2.com/blog-entry-200.htmlしかし私…
私はツイッターやブログで私と似たような意見や関心に出会うことが多いのだが、前の教会の人たちも同様に、似た者同士の環境を作って意見を固めているんだろうか、と考えた。 便利ではあるが、私も含め、ネット上の人間関係を似た者同士で固めてしまいがちだ…
最近お邪魔している、伝統的なプロテスタント教会の礼拝に出席した感想を書いてみようと思う。以前通っていた聖霊派の教会との比較になるのだが、そこの礼拝は以下のような構成になっていた。ワーシップソングを歌う(30分)アナウンス(5分)席上献金(歌い…
このシリーズでは自分がこれまで通ってきた聖霊派の教会を振り返り、自分の教会経験が限定的であることを自覚しようと書いてきた。 その後ほかの教会に行くことで、以前の私の経験と対比することができ、今後自分の信仰に大切になるだろうことに、いろいろ気…
このシリーズではまず、なぜ私が近代とポストモダンに引っかかっているのかを、まえがきとして書いたあと、(1)では戦後の近代化における文化の扱い、(2)では郊外マイホーム一世代目の教会の特徴を、戦後ぶ厚くなった中流層の出現の文脈で理解する試みを…
たらたら更新をせずにいたら、ミーちゃんはーちゃん様が前回の(1)を読んで新たな記事に取り上げて下さっていた。 近代・西洋・開発あるいは発展という神話と銀座と教会 | 一キリスト者からのメッセージ リンクを貼らせていただくのは、応対してくださいと…
前回の長いまえがきを経て、本題に入る。 私が前の教会の先行きにとまどい、自分はキリスト者としての立ち位置を見失っていると感じたのは、近代が現実から乖離していると実感していたからだと思う。その不安定な感覚をほかの人と共有できていたかというと…
キリスト教会の教職者ならびに信徒はポストモダンを意識してるのかなー、近代の「ぼやけ」をどう払拭すればいいのかなー、と以前書いた。 ミーちゃんはーちゃん様が「なんちゃってモダン、なんちゃってポストモダンと日本の教会」と題する記事をお書きで、そ…
再び、前に通っていた聖霊派の小さな教会では聞いたことのなかったフレーズから考える。 最近お邪魔するようになった伝統的な教会では、使徒信条を唱える。 「…聖霊を私は信じます。また聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだの復活、永遠のいの…
ミーちゃんはーちゃん様のブログ 一キリスト者からのメッセージ に取り上げていただいたところ、一日でアクセスが100を超えてびっくりしております。 Bluebelleはこのブログでは独白の形式をとっており、元々ひきこもり傾向があるため、アクセス向上には特に…
以前このブログでミーちゃんはーちゃん様の記事とURLを参照させていただき、それをきっかけで記事を書きましたとお知らせしたところ、読んで下さり、ご自分のブログにて「若い人しかいなかった教会その後(ケーススタディ)」と題してコメントを下さった。 h…
二つ前の投稿の、「昔は若い人しかいなかった教会」しか知らなかった というか、積極的に他を知ろうとしなかったせいで、別の教会の礼拝やその他勉強会などで私の知らなかった言葉に出会っているところである。前の聖霊派の教会では、以下の言葉が使われてい…
別の教会に通い、今まで知らなかったこと、気づかなかったことに気づく。私が最近お邪魔している教会では、教団内の別の牧師がたまに礼拝の説教に来る。教区としての活動などもある。つまり教会間での人のシャッフルが結構ある。牧師どうしで話し合ったり、…
このブログで何度も、私が前に通っていた教会について書いてきた。仮にこの教会を「NC」としておこう。ミーちゃんはーちゃんという方の「若い人しかいない教会で気づいたこと」http://voiceofwind.jugem.jp/?eid=889という記事を読んで、NCはいわば、昔は「…
「ワレワレの知恵」対「この世の知恵」という対立を、「クリスチャンの○○」対「ノンクリスチャンの○○」という表現に置き換えてみると、 「クリスチャンの○○」>「ノンクリスチャンの○○」という優先度の差が見えてくる。 というわけで、その理由を考えてみた…
「クリスチャンの○○」の、○○の中には、本とか、映画、音楽、学校、施設、etc.いろいろ入る。 以前、教会が教会員のおしごとの経験や経歴を活用しない、みたいな話を書いた。 今日はその続編。 私としては、世の中にはたくさんの専門性があり、それを身につけ…
教会を移ることと関連して、前から気になっていたことを一つ。人が「チャーチホッパー」と言う時、ネガティブな意味で言っていることがほとんどである。じゃあ逆に、好ましい教会員とはどんな人のことを想定しているのだろう、と、嫌味ではなく、本当に不思…
私が前に通っていた教会でのことを中心に考えてみた。そこは、とある東京の教会の枝教会として、郊外で始まったところだ。東京にいた若い3家族が、子どもも生まれたことだし、郊外にマイホームを持とうという人生の段階に来た。東京の教会で弟子みたいにして…
自分の今までの信仰って何なんだろな、と思いながら、前の教会には行かず、近所の教会に行っている。 考えさせられることがたくさんある。 どの教会も完璧ではないし、日曜の礼拝以外にも本や集会やセミナーやいろんな形で自分なりに理解を深めてゆくものな…
最近行っている教会で、前に通っていた教会では聞かなかったフレーズに、頻繁に出会う。 「神よ、憐れんでください」 20年間、そんな言葉を祈りの中に聞いたことはなかった。 クラシックな表現ながら私には新鮮で、なぜ私たちに憐れみが必要なのか、なぜそう…
昨日も書いたけど、考えてみれば、この2ヶ月ほど、人の何気ない一言をきっかけに、目からウロコが落ち続けているのである。 というか、人に合わせるのに忙しく、 小さくても自分が本当に大切だと思うことを置き去りにしていたのだと気づいた。 そのぶん、こ…
仁保裕介さんという方のブログをちょくちょく拝見しており、今日行った教会でも目からウロコが続いたので、書いてみる。仁保さんのエントリー「自由のために十字架を負う時代」http://blog.livedoor.jp/chlife/archives/52227666.htmlいつもながら、この方の…