聖書についての間違い あるある
• ヨブ記: ヨブが悪いからバチが当たった
• 権威に従うべき: すべての権威は神が立てたもので、権威者が悪や不正を行うはずがない / 悪や不正を行っていても服従すべき
• アダムとエバの罪: アダムは悪くない / 女性のみが生まれつき「誘惑する」という罪の性質を持ち危険
これらはいずれも、誤った解釈だと私は考えている。
しかし、教会員のあいだでの会話から聖書を知り、週一度の礼拝で牧師のメッセージを聞いているだけでは、気づかなかった間違いである。
これらは私が通っていた教会でインフォーマルな教師的役割を果たす人達が言ってきたことだ。
牧師が直接、説教の中でこれらに関する正しい知識を述べるか、誤った解釈を正すならよいが、そうでない場合、こうした間違った解釈が、「正規の礼拝時間」以外の場面で広まってゆく。そういったインフォーマルな場面というものは公的な時間と場より捉えにくく、いつの間にか害が広がっていた、という結果になってもおかしくない。
教会の礼拝でのメッセージだけに頼っていると、聖書の解釈や理解が偏ってしまう。
自分で聖書を読み、考え、祈り、教派や立場の違うキリスト者から学ぶなど、自分で吟味しながら信仰生活を送る重要性を感じている。