聖書から文を切り取らず文脈を踏まえられるようになった
数年前に、前の教会で、毎日聖書を自分で読んで、神様との時を持つことを習慣づけましょう、と、その方法の伝達があった。
その後、とくにフォローはなく、他の人はどうしていたかは分からない。
私は聖書をたまに読んで祈る程度だった。
2年前から聖書を読む必要を感じ、教会が共有している「今日の聖書箇所」に沿ってディボーションを始めた。1年で全部網羅するスケジュールになっており、1日に旧約と新約1章ずつぐらいの量だ。
ここ最近になって、ちがう聖書日課表を使い始めた。こちらはもっと短く、1日に半ページくらい。それも、新約か旧約のどちらか。
初めは、こんなに少なくていいのか?と思った。正直なところ、荷が軽い、と感じた。
そして私にはちょうど良い量だと思うようになった。
まず、この長さだと、一日中その内容をつぶさに思い出せる。
読んで気持ちにピンときたことを書き留め、祈ったあと、一日じゅう色々な場面で思い起こすことができる。朝読んだ時にすぐに出てこなかった反応が出てきたりする。よく噛んで味わう一日といったところか。
また、翌日もたいてい前日の内容を覚えており、その文脈で続きを読めるようになった。細かいところまで覚えているし、目の前の量も少ないから、これはあの箇所との対比だな、とか、どんな場面設定か、など忘れずに読むことができる。
文を文脈から切り離してしまいがちな私は、意識的に文脈を大切にと心がけてきたのだが、読む量を減らすことでそれができるようになるとは意外だった。
それまで、文脈を捉えるには、大きな塊を丸ごと掴むしかないと思っていた。
その結果、塊の中で目立つ部分だけを拾うので精一杯になっていた。
文脈を忘れがちな人は、試してみてほしい。