教会の後継ぎって寺と同じか
またまた最近になって気がついたこと。
以前の教会で、クリスチャン二世の人との何気ない会話をしていたら、牧師の息子が跡継ぎとして牧師になるとの通念があると聞いた。
彼女はキリスト教系の学校を出て、キリスト教系の団体の仕事をしている。
えー…そうなの?
私はあまり教会事情に詳しくない。
また、言い方が悪いかもしれないが、キリスト業界の通でもない。
そんなこともあってか、この話は私には驚きだった。
考えてみたら、お寺も子どもを後継者の第一候補と見る場合が多い。
しかしお寺の場合は檀家があり、墓もあるので、とりあえず存続が重要視されるのは、なんとなく分かる。
現代日本のキリスト教でも、墓があるなら別だが、この教会は共同の墓地を持つわけでもない。教会堂も持っていない。いわば無形の信仰心で集まっているので、「自動的に子どもが後継者」だなんて、考えたこともなかった。
また、単独ではなく教団に所属している教会だから、小さいとはいえ、教団単位で牧師を任命するんだろうと思っていた。
実際のところ、世代交代は10年くらい先だから、何とも言えないが、教会員が何を想定しているのか、お互いに知らないものだと気付いた。
寺にしても教会にしても、子どもがその仕事を選択するか、本人に合っているかが考慮されるだろうし、そうあるべきだとは思うが、
一世代目としてこの教会を作ってきた信徒たちからすれば、この集合こそが自分たちの教会であって、信仰を持ち続けていても個々が別のところに集うのは寂しいのかもしれない。
しかし、継がれて然る「べき」になってしまうのは、本人にも相当なプレッシャーだ。
また、その選択が実は非現実的である場合、教会員も知っておいたほうが良いだろう。
本当に、つい最近まで、自分が通う教会のことを何も知らなかったのだな。