Bluebelleのブログ

一キリスト者の雑感と日記。独り言が多く、更新は不定期です

祈りの小冊子を使ってみる


これまた今さらながら、の話。


長いこと、自分流につらつらと口から出るままに祈ってきたのだが、キリスト教書店で目にした祈りの方法についての小冊子に関心をもち、購入した。


前の教会で親しくしていた人がいる。その方はカトリックからプロテスタント、その後のキリスト教の展開を踏まえた上で、超教派に好意的な人だ。その彼女がよく口にしていた著者の本である。


バジレア•シュリンク

『神との語らい: さまざまな状況においてどう祈るか』

カナン出版


(なんと価格は500円。助かる〜)


この著者は1947年にドイツでプロテスタント国教会内にマリア福音姉妹会を設立。2001年没。


今までキリスト教関連書というと、聖霊の働きと奇跡に関連するものとか、リック•ウォレンの人生の目的とかを、どちらかというと非積極的に、人から借りて読んだ程度だった。

そのせいか、今こうやって比較的古いタイプのものを読むと、今に続く主要なポイントに共感する。

そして、時代は違えど、神と語らう人間の思いは同じだな、と思う。


朝の祈り•夜の祈り、とか、

主の守りを願う祈り、とか、

試練の時の祈り、とか、

信頼の祈り、などなど、

さまざまな状況ごとの祈りの文が紹介されている。


型より中味が大切だし、神様は私が言う前からすでに私の心をご存知だろう。

しかしポイントを絞れない私は、会話が冗長にとりとめがなくなるので、この冊子に沿ってみたら、自分が今何を課題にしているのか分かりやすくなった。

私の頭の整理整頓に良い。

そして、自分からの語りかけとしての祈りの言葉が、この型に付け加えられるように、するすると出てくる。


また、祈りとは何であるかについても書かれている。


たとえばこんな風に。


祈りが答えられない時: 

(それはなぜなのかといった説明のあとに)「祈りとは、愛を込めてわたしたちの心と意志をイエス様にゆだね、御心と一致することです。イエス様の約束のとおり、その一致こそは、多くの実を結びます。」(p.23)


また、気付きも多々与えられた。たとえば、


罪との戦い: 

「祈りとは、イエス•キリストの十字架に絶えず目を向けることです。十字架の上で既に敵の力はすべて打ち砕かれたのです。」(p.41)


私は十字架を、過去の出来事として捉えがちであったことに気付いた。私がクリスチャンとなる前と後を区切る出来事だと捉えていたのだが、それが今現在も確固として私の眼前に「在る」のだという認識を新たにした。


本やネット上の記事など、書かれたものを通して、私の信仰への助けが与えられているんだなと思う。