Bluebelleのブログ

一キリスト者の雑感と日記。独り言が多く、更新は不定期です

小規模な一代目の教会での経験から近代との関係を考える(1)

 

前回の長いまえがきを経て、本題に入る。

私が前の教会の先行きにとまどい、自分はキリスト者としての立ち位置を見失っていると感じたのは、近代が現実から乖離していると実感していたからだと思う。その不安定な感覚をほかの人と共有できていたかというと、できていなかった。

かいつまんで言うと私は、キリスト者としての自分を、そうでない人も含め世の中でどう位置付けたらいいか、見えなくなっていた。現実から乖離せず、地に足の着いた歩みをするために、近代という縛りの正体を知りたい、と思った。

クリスチャンであろうがなかろうが、「この世」つまり世間一般と関係を絶つわけにはいかない。閉じたクリスチャン共同体を作って鎖国でもしない限り、「世とはちがう」といくらクリスチャンが言ったところで、世間一般からの影響は必ずあるし、社会制度や社会構造にわれわれも頼って生きている。だから自分と教会、自分や教会を取り巻く背景を、近代をキーワードに考えてみようと思う。

 

◇ 私の記事での「ポストモダン

 

まずポストモダンについての私の理解であるが、キリスト教書は参考にしておらず(というか今までほとんど読んでいなかった)、一般的に学部の社会学あたりで得た知識の範囲に基づいている。

ポストモダンというのはモダンという語が入っていることから分かるように、私は近代の特徴となっているさまざまな理論に対する批判の総称だと捉えている。近代に特徴的な社会理論や技術論、哲学、美術、その他さまざまな分野の理論に対するアンチテーゼの総称であり、アプローチは複数あって、これがポストモダン理論だというものは無い。だからあくまでも特定の分野の理論的な対象に対する批判的姿勢であり、また「近代のあと」の時代を形容する語だと考えている。

 

  • 近代化を阻害する「文化」的な要因と教会

 

ミーちゃんはーちゃん様がおっしゃるような

「なんちゃってモダン」

その1 http://voiceofwind.jugem.jp/?eid=904

その2 http://voiceofwind.jugem.jp/?eid=908&PHPSESSID=95542102fc507ae406823ff1ab2dec14

その3 http://voiceofwind.jugem.jp/?eid=909

は、日本に限らず近代化を進めてきた他国でも観察される。その分かりやすい例として、明治・大正時代はちょっと置いておいて、戦後の国際開発援助における文化の位置付けを考えてみよう。制度や思想が持ちこまれ、形だけはモダンなのだが、内発的に生まれたわけではないため、その形(建物でも政治行動でも思想でも制度でも)が機能しない、現実とズレる、といった問題は、開発援助の現場での有効性を望む人たちがぶつかる共通の問題である。日本は開発援助の「支援する側」だと思いがちであるが、日本は1952年に戦後復興のために設立された国際復興開発銀行(IBRD:International Bank for Reconstruction and Development)とIMFに加盟している。日本もれっきとした債務借入国で、世銀からの債務を完済したのは1990年だったのである(外務省「日本の戦後復興」より)。「国際」開発の対象は全世界に広がっており、それらを網羅した開発政策やプログラムが実施されるのであるが、そうした開発プログラムの背景にあったのが、近代化であった。

Anthropology, Development and the Post-Modern Challenge (Anthropology, Culture and Society): Katy Gardner, David Lewis: 9780745307473: Amazon.com: Books

私が学部生のころに読んだこの本、すでに「ポストモダン」を題に掲げ、すでに20年近くが経過しようとしているが、開発援助において西欧The Westの社会モデルとされ、その他の文化を「開発の障壁」(p.15)とみなす感覚を今も持ち続けている人はたくさん社会にいると思う。慣習、組織、政治社会制度、思考、技術、儀礼などなどの「前近代的」な「文化」が近代化を邪魔していると考える人たちだ。その場合、近代化と西欧化は渾然一体となっている。

 このような文化の見方は、西欧社会モデルへと到達しない理由を、文化との整合性の欠如に求めている。そういう面は否定できない。しかし文化と認識されるものの内実は、実はそんなに整合性のあるものとは限らない、とか、文化というものを理想化し過ぎである、とか、文化が記述者によって恣意的に書かれてきた、とか、文化集団の特定の人の代表性をもって文化を定義している、といった批判が80年代に渦巻き、文化がいかに記述者によって「構築」されているかに意識的にならざるを得なくなった(脱構築)。だから私は今は、「近代化を阻害する文化的要因」という話をするときは、文化という概念ではなく、もっと丁寧に見る姿勢をとろう、という態度に落ち着いている。

 

◇ アメリカを目指した教会の例

 

なぜこんな話になったかというと、戦後の日本の近代化に着目すると、私が育った郊外の状況と、私が以前通っていた教会の状況をより良く説明できると考えるからだ。アメリカからの宣教師によって戦後創設され、アメリカ人宣教師や教会員が一時期存在し、大きく影響を受けていたその教会は、「西洋型社会」の類型として「アメリカ社会」を(想像上であれ)模範としていた。「アメリカになるべく努力しているのにそうならない、おかしいな」と感じつつ、現在に至るという状況であった。

それらの宣教師や教会員は日本の伝統文化(雅楽や柔道、お茶、お花、etc…)の精神性は非西欧的だから危険だ、悪い霊に縛られている、などと言っており、それが原因で長いこと研鑽してきた伝統文化活動を捨ててしまった教会員も複数いた。

そういった事情があったから、結果的に「キリスト教(=西欧(アメリカ)」的に当たり障りのない消費文化を消極的に選択せざるを得なくなったのかもしれない、と今は思い返している。まあ、いろいろな教会員がいろいろなことを言う。あちらからは伝統文化は危険だと言われ、こちらからは神学は危険だと言われ、ほかの人は非西洋は危険だと言い(失礼な…!)…教会の中核にいる人は立っているだけで精一杯だったのだと思う。だから以前の記事で私が仰天したような、ハーレー・ダヴィッドソンかっこいい、みたいな選択肢しか残されていなかったのもしょうがないのかなと思う。

 

つづく

 

(11月8日 春日直樹『遅れの思考』アマゾンへのリンク削除  まとまったレビュー書いたらまた載せます)