Bluebelleのブログ

一キリスト者の雑感と日記。独り言が多く、更新は不定期です

小規模な一代目の教会での経験から近代との関係を考える(2)

 

 たらたら更新をせずにいたら、ミーちゃんはーちゃん様が前回の(1)を読んで新たな記事に取り上げて下さっていた。

近代・西洋・開発あるいは発展という神話と銀座と教会 | 一キリスト者からのメッセージ

 リンクを貼らせていただくのは、応対してくださいとせがむような結果になっているかもしれないが(汗)、ミーちゃんはーちゃん様はそれにしてももの知りな方だと思う。地域開発や開発経済で使用される語や説明をたくさんいただいて、大変勉強になり、さらに私の記事の内容への補足もいただいた。この場を借りてお礼を申し上げます。

 (ちなみに、「文化だけを悪者にしてよいのかという問題の指摘」は、異なる言い方をしてはいますが私でなく、紹介した本が指摘していたものです。そして、文化の内実とか整合性とか記述の問題は、文化とはなんぞやという混迷の中で、私をさらなる混迷へとぶち込んだ別の論の傾向を私がさらっと表したものです。)

 

 さて、このタイトルの記事では、まえがきに続いて、私が通っていた聖霊派の教会を語る背景として、戦後の「近代=西欧(アメリカ)」化を書いた。

 近代社会のモデルに該当しない非西欧の文化は、戦後の開発(=発展development)に対する阻害要因と認識されていた。教会はそういった社会的文脈とは無関係ではなく、その状況の中で教会が設立され、運営されてきたのだといえる。

 その時代に限定するのは、あくまでも「私が知っている実例」を理解することで、その教会で人生の半分を過ごしてきた私に何が備わり、何が足りないのかを見据えるためである。開発援助をひきあいに出したので、施策レベル以上の位置からの話になりがちであるが、市井の人の目線で、つまり私やその教会の人々の生活の場レベルから、理解したいと思う。

 

◇ 「一億総中流化」の消費文化の中で進展してきた生活

 

 今振り返ってみると、教会だけでなく、私が生まれ育った東京の郊外も、上述のような「近代=西欧」化における特徴を強く持つ。信仰の一世代目のクリスチャンたちが、郊外に住居をもち、東京に電車で通い、専業主婦のいる家庭を築きつつ、教会をつくった。その過程は「生活の近代化」とともに進んで来た。ミーちゃんはーちゃん様が挙げてくださった、銀座という近代化の象徴は、戦前へ、そして海外へも射程を広げてくれる面白い事例になりそうだと思うので、いつか調べてみたいと思う。今回の事例にしている私が前に通っていた教会は、その銀座という近代化の象徴とはあまり接触がなかったタイプの人たちが集まっているので、郊外をキーワードにしてみた。

(しかしこの「銀座とあまり関わりがない」点に気付かされ、「古いキリスト教との差異化?」という考察のヒントになりました。再度ミーちゃんはーちゃん様、ありがとうございます。)

 

 1960年代に東京の郊外に居を定めた人たちが生活実感として近代的と考えたものは何だろうか。一般用語として「生活の近代化」を、電気水道、舗装道路、鉄道、耐久財(電化製品)のある生活と結び付けるのは、よくあるパターンだと思う。これらは直接的に物質性と購買力、技術力を意味していると私は思う。当たり前といわれそうだが、それらは生活の場や行動の構成要素となり、消費によるスタイルを作り出していたわけである。消費行動の意味とか消費財の象徴とか、象徴の消費とかいったことはちょっと置いておいて、こうした郊外の団地に典型的な、計画された近代的な生活というものが、私や教会員の背景にあった。

books.rakuten.co.jp

 (著者の経歴に「消費・都市・文化研究シンクタンク「カルチャースタディーズ研究所」設立」とあったので、だいぶ前に読んで参考にしていたのだが、その後なんだか変な指南本など書いているようで、ちょっと心配ではある。)

 

 

 で、私が考えるに、郷里や親戚から離れ、核家族を形成して郊外にマイホームを持った新たな中流層は、大量生産体制にともなう大量の消費者となり、消費財の所有は「中流」社会階層のマーカーとなった。厚くなった中流が消費する財は、同じ階層の他の人と同じく「人並み」なだけだった。たとえば一家(一世帯)に一台ずつの白物家電は、富の誇示というほどの飛びぬけではなく、新たな「最低基準」となっただけだし、現在でも生活最低基準の中に含められている。

 そうした生活レベルの向上は「近代化=西欧化」の名によってやってきたのであり、アメリカからやってきたキリスト教とは矛盾しない、と考えられてもおかしくないだろう。(今たまにお邪魔する伝統的な教会の一代目の年配の方々に、郷里でのお話を伺うと、戦後自分たちは宣教師のいる学校に行っていたのでストーブがあった、設備が使えた、食事が豊かだった、など周囲から羨ましがられたことを話してくださる。アメリカが戦後の日本に「豊かさ」の象徴として受け取られていても、何の不思議もない。)

 

◇ 消費が美徳という考え方はクリスチャンの生活と相容れるのか

 

 70年代は消費が美徳とされていたし、明らかに不道徳な対象でない限り、経済的消費は「危険」視されにくいと思う。「不便な生活(の昔の日本や途上国)のほうが心が温かく思いやりがある」などといった、時に勝手なロマンチックな妄想は、文学では白樺派などにも見られるらしいが、今回の文脈で分厚くなった中流の消費者のあいだに出てきたのは、ある程度「近代的な生活」が普及し進展してからもうすこし後の話しである。

私が前に通っていた教会のほとんどが、一世代目のクリスチャンだった。より古い教会との関係は持っておらず、清貧とか社会奉仕を美徳としたり実践したりするようなクリスチャンや考えとの接触はほとんどなかったように思う。

 

◇ 「近代化」=「西欧(アメリカ)化」達成のための善なる購買力

 

 日々の生活の中で何を「クリスチャンとしての善」と見るかは、自明ではない。しかしこうした生活基準の底上げと合致した近代化を、「アメリカ化-キリスト教化」として捉えた場合、消費による近代化はキリスト教化と矛盾しないとクリスチャンが考えてもおかしくないだろう。社会の発展に寄与する「購買力増大プロジェクト」への参加によって、アメリカに追いつく。それは善いこととして捉えられていたのかもしれない。

 教会では、「この世の教え」として一蹴されるものもある。しかしその教会では、クリスチャンで実業に成功している人は神から祝福されていると考える人がけっこういた。それをどう理由づけるのか私はつらつらと考えてきたのだが、「勤労」自体が禁欲的な修行(苦行)なので積極的に行うべきものとして捉えられ(「プロテスタント的?」)、その結果として購買力が高まっても徳を意味するだけであるとして、肯定的に受けとめられていたのではないかと私自身は勝手に解釈し読み解いている(こういう、金銭が祝福の可視化だと説明する論理は世の中にけっこうある)。政治や文化がタブー視されるのと対照的に、経済的活動は、目に余るような豪奢な消費や不道徳な消費に直結しない限り、問題視されないようなのだった。

 

◇ 古いキリスト教との差異化?

 

 つまり私が考えるに、この論理でいくなら、別に世との違いはあまりない。アメリカでは顕著なチャリティも「自分たち」の「新たな文化」に取り入れず、独自の発展を遂げたのも、日本社会の特徴だと思う。だから実際は、とても恣意的にキリスト教の要素を選んでいる。

 さらに、それまでのキリスト教との差異化を明確に打ち出しているともいえる。この一代目の教会は既存の日本の教会を模範としておらず、あくまでも戦後アメリカ人宣教師がつくった教会を中心にしているのである。考えてみれば、キリスト教書とあまり関わらない教会だったが、それなりに子ども向けの教材を買いに行くとかいう話が出ても、書店の中心は御茶ノ水クリスチャンセンターの本屋で、銀座の教文館ではないのである。御茶ノ水クリスチャンセンターや、いのちのことば社の設立と時期を同じくしているようである。

 現在見られる断絶の象徴としては、たとえばワーシッププレイズが挙げられるだろう。電気で楽器の音を増幅して演奏するワーシップは、戦前のキリスト教と視覚的な違いとしてはっきり現れる。それは(戦前からのほかの教会とはちがう)大衆的な「近代化」の可視化だろう。さらに、神学とか古い教会とかリベラルに関わらないように、「純粋さ」(それはずいぶん主観的な見方だよねえ)を保て、とか言われるけれど、それまでの日本を直視するのではなく、断絶する姿勢を選んだのでは、と考えてしまう。そんなだから、清貧とか社会奉仕とか修道院とかいったキリスト教史の中に見られる思想 ― 経済的発展に邪魔になりそうなもの ― は嫌われていた。

 でも私は今、中には私の信仰の助けになる先人の知恵もあるかもしれない、とキリスト教書などをちまちまと読み始めているところである。

 

◇ キリスト者として成長してゆくには

 

 そういうわけで、私が前に通っていた教会で自分がキリスト者として成長できるだろうかと考えたとき、自分には良い環境ではないかもと思った。ハーレーダヴィッドソンに乗るかっこいい俺たちの集まる、デカい、感動にあふれた教会を目指す、という消費社会的での発展段階を踏んでいることだけが落胆の理由ではない。

(ミーちゃんはーちゃん様の記事で、70年代ごろのアメリカで「大きいことはいいことだ」が目指された、とある。ああそういうことか、と腑におちた。そして「是」とされるのみならず「善」とされたというのでびっくりした。「男くさいものをよしとする」というのも納得である。それは規模が違ってもバンドやハーレーダヴィッドソンに引き継がれていて、いわばマッチョなのだ。勝利とか、敵を打ち破るとかいったフレーズの多用に見られるように、勝ち負けの比喩ともなじみやすい、わかりやすい「勝ち」プログラムのパッケージなのかもしれない。)

 

 震災と事故を経て、私が通っていた聖霊派の教会の中では、いままで以上に平和という言葉に厳しい反応をする(かみつく)人が増えたような気がした。それは平和という言葉に政治性(運動とか)を見いだし危険視しているからではないかと思う。この状態は、あまり良く無いと思う。さらに、新改訳聖書の「平安」とは違って(本当は同じらしいが)、「平和」という語を使用する新共同訳聖書という断絶したキリスト教を想起させるのだろうかと勘ぐりたくなる。

 教会員の中の正規雇用者も減る中、いろいろな点で先行きを考える必要があるのだが、どんな策が出てきたかというと、役員会というのはあるらしいのだが、誰が役員か明言されておらず、話し合いは非公開なので、そこらへんの内容は分からないが、教会員への報告としてメガチャーチというのがあった。また役員で、世俗の仕事では教員をしているご家族などは、どんどん発電してどんどん作ってどんどん売ってどんどん儲けることが一番!私たちには神がいる!疑わずに信じなさい!とご発言になり、私は一緒にはやっていけないし、価値観が違いすぎると思った。どうも常日ごろから話を聞いていると、神とはまさにアダム・スミスの言う「見えざる手」であり、われわれは何事も心配せず信仰をもって神に信頼して「バンバンやればいいだけ」であり(In God we trustと同じ心性か?と言いたくなる)、市場原理の万能性の一部に神がいるらしかった。

 私は不勉強であるが市場原理が神の原理だとは考えていないし、全世界が市場原理に包摂される未来が輝かしいとは思わない。市場原理における合理的経済人をモデルにして、そのモデルに沿った人間を育成しようとも思わない。質のちがうものを一からげにして「選好」のカテゴリにおさめて計量する合理性は、計量したいという欲望ゆえであろうと私は考える。それはほんとうに相手を思い相手を知ることとは性質が異なるし、「愛とはなにか」を明らかにするものでもないし、何ら豊かなものを産み出し、人のためになるとも思えない。商業的な成功や繁栄が神の威力を顕すとも思わない。

 

次回は私が伝統的な教会で出会った「憐れんでください」という祈りから、次に進もうという話を書く予定。

 

つづく