Bluebelleのブログ

一キリスト者の雑感と日記。独り言が多く、更新は不定期です

短い説教の礼拝にて感じたこと



最近お邪魔している、伝統的なプロテスタント教会の礼拝に出席した感想を書いてみようと思う。


以前通っていた聖霊派の教会との比較になるのだが、そこの礼拝は以下のような構成になっていた。


ワーシップソングを歌う(30分)

アナウンス(5分)

席上献金(歌いながら、10分弱)

祈り(3分)

説教(45分)

ワーシップソングを歌う(5分)


最初のワーシップソングの時間と説教の時間がとても長い。

しかしこれでも短くなったのである。

以前は説教は一時間では収まらなかった。一時間半を超えることもしょっちゅうだった。しかしその教会が属する教派を設立した牧師が、礼拝にも時間管理を忘れない、時間で区切って進行すること、との方針をわざわざ強調してくれたため、やっと一時間以内になったのだ。


最近お邪魔している伝統的な教会のほうは、礼拝の進行が書かれた週報を渡してくれる。それを見ると、礼拝の構成と内容がよく考えられていることが分かる。

賛美歌も何でも歌えばいいってものではなく、賛美歌の内容が、その日の説教や祈りと一致して、礼拝のテーマを貫くようになっている。

そして罪の告白の祈りの時間が取られており、使徒信条や、主の祈り、信仰告白が礼拝の中に入っている。


そして通常の礼拝では、説教が15〜20分くらいでさらっと収まる。

これはその教派に共通するのか、その教会だけなのか分からないが、私としては説教が突出しておらずあくまでも礼拝の「部分」なのだと認識する機会になった。特定の牧師の説教が礼拝のメインというのではなく、牧師はあくまでも儀礼を取り持つ人で、その週の聖書通読と信仰生活に向けて信徒の補助になる説教をするという印象を受けた。

つまり牧師の説教の比重が小さく、そのぶん、牧師の言うこと以外の要素の重要性が際立って見えた。


まあそれが良いのか悪いのかは人それぞれだろうけれど、私にとっては新鮮であった。そして礼拝の儀礼としての側面について考えるきっかけになった。