目からウロコ
仁保裕介さんという方のブログをちょくちょく拝見しており、
今日行った教会でも目からウロコが続いたので、書いてみる。
仁保さんのエントリー
「自由のために十字架を負う時代」
http://blog.livedoor.jp/chlife/archives/52227666.html
いつもながら、この方のブログはまっとう。
その通り!と思うことばかり。
私が自分に正直になれない時、このブログを読んで、自分に嘘をつかなくていい、と励まされて来た。
そして今回の記事も、いちいちうなずくことばかりなのだが、
特に「教会に行くことは(キリストによる赦しと愛と自由を私に与える)条件ではありません」と言う一言に、私は頭では分かってるのに、行かなくちゃダメだと思って焦っていないか?と気づいた。
分かっているのに、なぜ「行かなくちゃダメ」と思っていたのか。
今日、近くの礼拝に出て、いろんな人と話してみた。
そしたら牧師は、うちが一番!なんてことを言わず、
教会を探すなら、「自分はこの教会のコレが好きだから行きたい」、という所に行くのがいいと思う、と言われた。
また別の人からは、
何だか今話していると、とても警戒している目付きだけど、自分で何かおかしいなと気づいて(前の教会を)自分で出られてよかった、どういう教会だったかなんてことよりも、自分が居続けるのは無理だと分かって行動できた、そのこと自体が、ほんとに良かった、
といってもらって、
一気に安堵が。
今までとても緊張して、警戒度が高かったんだ。
そしたら、私と話していた人が、表情が一気に変わった!と驚いていた。
私が思うに、
前の教会で親しくしていた人たちに、「教会に通わないと◯◯にやられる」と言われるのを恐れていた。
親しくしていた人たちの判断基準を、そのまま自分のものにしてしまっていたんだ。
でも、気が付いて良かった。
行きたかったら行けばいいのだ。
這ってまで行くものではないのだ。
目からウロコの出来事であった。
一歩前進だな。
さらに仁保さんのブログから引用。
「ぜひ、おすすめしたいのは、キリストを求めながら孤立せずに自立することを目指すことです。」
まさに、孤立せず自立するって重要だ。
これは今後の課題。
話がちょっと戻って、今日牧師から言われたことを考えてみたら、今日いった所については、私は礼拝が好きだ。あと古めの音楽も。
そして私としてはヒットだったのが、週報。
そんな人あまりいないと思うが、式文や祈り、楽譜まで入っており、さらに教会の予定と呼びかけや、お誕生日おめでとう、などが書かれているので、文字で集団性を感じ取ることが可能なのだ。
だからこの教会の週報は、平日も持ち歩いて繰り返し読んでいる。
今日は一歩どころか、三歩くらい前進した気がする。