Bluebelleのブログ

一キリスト者の雑感と日記。独り言が多く、更新は不定期です

2015-01-01から1年間の記事一覧

1代目の教会は世代交代に当たってどうするのかな

お百姓見習いのトンちゃん様という方が書いていらっしゃる、「どこかに泉が湧くように」というタイトルのブログを拝見し、2013年2月に書かれた記事が、今の私が持つ感覚とよく似ていると思った。http://spring496.blog.fc2.com/blog-entry-200.htmlしかし私…

【疑問と愚痴】 福音派と聖霊派はどんな情報と接しているのか

私はツイッターやブログで私と似たような意見や関心に出会うことが多いのだが、前の教会の人たちも同様に、似た者同士の環境を作って意見を固めているんだろうか、と考えた。 便利ではあるが、私も含め、ネット上の人間関係を似た者同士で固めてしまいがちだ…

短い説教の礼拝にて感じたこと

最近お邪魔している、伝統的なプロテスタント教会の礼拝に出席した感想を書いてみようと思う。以前通っていた聖霊派の教会との比較になるのだが、そこの礼拝は以下のような構成になっていた。ワーシップソングを歌う(30分)アナウンス(5分)席上献金(歌い…

小規模な一代目の教会での経験から近代との関係を考える(最終回)

このシリーズでは自分がこれまで通ってきた聖霊派の教会を振り返り、自分の教会経験が限定的であることを自覚しようと書いてきた。 その後ほかの教会に行くことで、以前の私の経験と対比することができ、今後自分の信仰に大切になるだろうことに、いろいろ気…

小規模な一代目の教会での経験から近代との関係を考える(3)

このシリーズではまず、なぜ私が近代とポストモダンに引っかかっているのかを、まえがきとして書いたあと、(1)では戦後の近代化における文化の扱い、(2)では郊外マイホーム一世代目の教会の特徴を、戦後ぶ厚くなった中流層の出現の文脈で理解する試みを…

小規模な一代目の教会での経験から近代との関係を考える(2)

たらたら更新をせずにいたら、ミーちゃんはーちゃん様が前回の(1)を読んで新たな記事に取り上げて下さっていた。 近代・西洋・開発あるいは発展という神話と銀座と教会 | 一キリスト者からのメッセージ リンクを貼らせていただくのは、応対してくださいと…

小規模な一代目の教会での経験から近代との関係を考える(1)

前回の長いまえがきを経て、本題に入る。 私が前の教会の先行きにとまどい、自分はキリスト者としての立ち位置を見失っていると感じたのは、近代が現実から乖離していると実感していたからだと思う。その不安定な感覚をほかの人と共有できていたかというと…

小規模な一世代目の教会での経験から近代との関係を考える(まえがき)

キリスト教会の教職者ならびに信徒はポストモダンを意識してるのかなー、近代の「ぼやけ」をどう払拭すればいいのかなー、と以前書いた。 ミーちゃんはーちゃん様が「なんちゃってモダン、なんちゃってポストモダンと日本の教会」と題する記事をお書きで、そ…

「公同の教会」以前に考えたことのメモ

再び、前に通っていた聖霊派の小さな教会では聞いたことのなかったフレーズから考える。 最近お邪魔するようになった伝統的な教会では、使徒信条を唱える。 「…聖霊を私は信じます。また聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだの復活、永遠のいの…

記事へのアクセスの傾向

ミーちゃんはーちゃん様のブログ 一キリスト者からのメッセージ に取り上げていただいたところ、一日でアクセスが100を超えてびっくりしております。 Bluebelleはこのブログでは独白の形式をとっており、元々ひきこもり傾向があるため、アクセス向上には特に…

若い人しかいなかった教会にコメントをいただきました。&先行きの手探りについて

以前このブログでミーちゃんはーちゃん様の記事とURLを参照させていただき、それをきっかけで記事を書きましたとお知らせしたところ、読んで下さり、ご自分のブログにて「若い人しかいなかった教会その後(ケーススタディ)」と題してコメントを下さった。 h…

知らない教会用語に出会う

二つ前の投稿の、「昔は若い人しかいなかった教会」しか知らなかった というか、積極的に他を知ろうとしなかったせいで、別の教会の礼拝やその他勉強会などで私の知らなかった言葉に出会っているところである。前の聖霊派の教会では、以下の言葉が使われてい…

牧師に対するサポート体制がある教会もあるんだな

別の教会に通い、今まで知らなかったこと、気づかなかったことに気づく。私が最近お邪魔している教会では、教団内の別の牧師がたまに礼拝の説教に来る。教区としての活動などもある。つまり教会間での人のシャッフルが結構ある。牧師どうしで話し合ったり、…

若い人しかいない教会「だった」教会の先行き

このブログで何度も、私が前に通っていた教会について書いてきた。仮にこの教会を「NC」としておこう。ミーちゃんはーちゃんという方の「若い人しかいない教会で気づいたこと」http://voiceofwind.jugem.jp/?eid=889という記事を読んで、NCはいわば、昔は「…

「クリスチャンの○○」が好まれる理由を考えてみた その2

「ワレワレの知恵」対「この世の知恵」という対立を、「クリスチャンの○○」対「ノンクリスチャンの○○」という表現に置き換えてみると、 「クリスチャンの○○」>「ノンクリスチャンの○○」という優先度の差が見えてくる。 というわけで、その理由を考えてみた…

「クリスチャンの○○」が好まれる理由を考えてみた その1

「クリスチャンの○○」の、○○の中には、本とか、映画、音楽、学校、施設、etc.いろいろ入る。 以前、教会が教会員のおしごとの経験や経歴を活用しない、みたいな話を書いた。 今日はその続編。 私としては、世の中にはたくさんの専門性があり、それを身につけ…

チャーチホッパーは本当にチャーチホッパーなのかな

教会を移ることと関連して、前から気になっていたことを一つ。人が「チャーチホッパー」と言う時、ネガティブな意味で言っていることがほとんどである。じゃあ逆に、好ましい教会員とはどんな人のことを想定しているのだろう、と、嫌味ではなく、本当に不思…

教会に家族で通う場合と単身で通う場合の違いを考えてみた

私が前に通っていた教会でのことを中心に考えてみた。そこは、とある東京の教会の枝教会として、郊外で始まったところだ。東京にいた若い3家族が、子どもも生まれたことだし、郊外にマイホームを持とうという人生の段階に来た。東京の教会で弟子みたいにして…

別の教会で気づいたこと: 実は福音書を軽く見ていた?

自分の今までの信仰って何なんだろな、と思いながら、前の教会には行かず、近所の教会に行っている。 考えさせられることがたくさんある。 どの教会も完璧ではないし、日曜の礼拝以外にも本や集会やセミナーやいろんな形で自分なりに理解を深めてゆくものな…

プロテスタントと一口に言うけれど その2

最近行っている教会で、前に通っていた教会では聞かなかったフレーズに、頻繁に出会う。 「神よ、憐れんでください」 20年間、そんな言葉を祈りの中に聞いたことはなかった。 クラシックな表現ながら私には新鮮で、なぜ私たちに憐れみが必要なのか、なぜそう…

目からウロコが落ちる日が続いている

昨日も書いたけど、考えてみれば、この2ヶ月ほど、人の何気ない一言をきっかけに、目からウロコが落ち続けているのである。 というか、人に合わせるのに忙しく、 小さくても自分が本当に大切だと思うことを置き去りにしていたのだと気づいた。 そのぶん、こ…

目からウロコ

仁保裕介さんという方のブログをちょくちょく拝見しており、今日行った教会でも目からウロコが続いたので、書いてみる。仁保さんのエントリー「自由のために十字架を負う時代」http://blog.livedoor.jp/chlife/archives/52227666.htmlいつもながら、この方の…

不寛容ってこういうことかな 2

二つ前の投稿で、神様なんて信じていない、と洗礼を受けた人に言われて、ショックを受けたこと。 私自身も焦りがあって、数日間、ほかの人は私が信じていることを信じていないのではないか、とパニックになった。 しかし、人の信仰が本当かどうか、私はどう…

クリスチャンが行うのが最重要という考え方と専門性軽視

私がずっと通っていた聖霊派の教会は、比較的主婦が多かった。職業的な専門性をもって家庭の外で働く人が、どちらかというと少なかった。男性でも、働いていても会社内労働市場にいて、メンバーシップ型の働き方をしている人がほとんど。つまり技術者とかじ…

音楽の好みが変わったのは、好戦的な状態に疲れたからかも?

ずっと聖霊派の教会で、やる気モード全開がデフォルトの礼拝だった。しかし体調を崩して5年。2年前に体調が悪化したのを機に、聖書を自分で読み始めたり、自分の信仰を見直すきっかけが次々とやってきた。そして、一つ大きな分かり易い変化が。体がエネルギ…

エキュメニカル?プロテスタント内で対話してくれぃ!

宗教という社会的カテゴリへの関与を促す?三位一体の神?霊的な世界の存在?いまたまに顔を出してるプロテスタントの教会。ホームページや週報を見ると、エキュメニカル、他の宗教の指導者とのちょっとしたプログラム、さらに、伝道する教会を目指して、な…

日本で「信仰」を「選択する」こと

ふたつ前の投稿に関連して、常日頃から疑問に思っていることを。人にイエスを伝えるときにも、参考になるかも。宗教に限らず、自分が行動を決定する主体であり、選択する主体である、という意識って、どこまで一般的なんだろうか、と。主体意識がある・ない …

不寛容ってこういうことかな 1

ミーちゃんはーちゃんという方の「一キリスト者からのメッセージ」というブログを最近拝見している。その中で、自分を省みる機会になったのが、この記事。「福音派と聖書 米国の場合 その1」http://voiceofwind.jugem.jp/?eid=469大学生が教師から聖書の話を…

プロテスタント教会さがしについて

まあ、いろいろあるので、また頭がぐるぐるしている。他の宗教や宗派と行動を共にしている教会や、共通点を説教に盛り込む教会もあるが、どこまでが「寛容」や「共生」で、どこが譲れない線か、見極める必要があるなと思う。リベラルであっても「本当に」三…

結婚に例えられる愛も結構だが、友情はどこに行った?

私が断続的に通い続けてきた、聖霊派の教会の状況について。(ほかの所も記憶の限り似たりよったりだったが)教会の牧師のメッセージや信徒の話のなかで、信じる者とイエス•キリストとの関係が、結婚に例えられることがある。そういう比喩が使われることや、…