Bluebelleのブログ

一キリスト者の雑感と日記。独り言が多く、更新は不定期です

教会に家族で通う場合と単身で通う場合の違いを考えてみた


私が前に通っていた教会でのことを中心に考えてみた。

そこは、とある東京の教会の枝教会として、郊外で始まったところだ。

東京にいた若い3家族が、子どもも生まれたことだし、郊外にマイホームを持とうという人生の段階に来た。東京の教会で弟子みたいにしてた牧師が、じゃあ枝教会を引越し先に作ろうということになって、教会が始まったようだ。


そうこうしているうちに人も増えていった。

私が通っていたときは、その3家族に加え、ほかにも20年以上通い続けている一家が2組いた。

それにプラス牧師一家。

夫が稼ぎ、妻は専業主婦という高度経済成長期の昭和な郊外のパターンである。


その子どもたちはすでに成人した。

ある一家の子どもたちはクリスマスにしか顔を見せないが揃ってノンクリスチャンと結婚して家庭を持っている。

それ以外の古くからいる家族の子どもたちは、その地域で職を得ており、教会の常連メンバーとなっているが、揃って未婚である。

私と年齢が近いのは、この人たちであった。


ほかの教会員は、結婚後にクリスチャンになった主婦が多かった。

成人後に郊外を出てゆく単身の若年が多いからか、昔と比べて独身のいわゆる結婚適齢期の教会員がほとんど存在しない状態となった。


…とここまでは前置き。


家族と一緒に教会に来ておらず、単身の未婚で、いわば一人で来ている、結婚適齢期ぐらいの人って、私と、もう一人だけだった。


何となく、家族と一緒に来ている人は、色々な点で守られているし、まあ縛りもあるんだろうな、と感じた。

家族単位で来ているか、一人で来ているかで、教会生活は相当違ってくると思う。


たとえば、平日の昼間にある婦人会とか、男性だけが参加する「役員会」的な話し合いとか、子ども向け教会学校とか、教会活動についての情報は、家族で来ている人たちは総合的に知っている。情報量がダントツに多い。

それらへの参加資格は通常、特定のライフステージを想定している。標準的な夫婦と未婚の子どもという家庭生活に合致する活動になっている。


当たり前と思われるかもしれないし、私はそれがイカンと言いたいわけではない。しかし、家族で来てる場合と、そうでない場合、見える教会の風景はかなり違うのでは、と言いたいのだ。


たとえば、婦人会でどんなDVDを見てどんな話をしているかなんて知らなかったし。


独身者に対する対応も違うと感じた。

一人で来ている独身者には、結婚しろとか、教会内の人を勧めてみたり、時にはあからさまに「結婚要員」扱いしたりする人も少なくない。

これに対し家族で来ている人の子どもたちには、親への遠慮や、関係の束の大きさゆえのリスクを考えてなのか、古くから知っているので今さら感があるのか、まあ当たらず触らずが貫かれている。


単純に、一人でぽつんと来てる人には口を出しやすい、ということもあるだろう。


あまりこういった違いは取り上げられないな、と思って、書いてみた。