Bluebelleのブログ

一キリスト者の雑感と日記。独り言が多く、更新は不定期です

【疑問と愚痴】 福音派と聖霊派はどんな情報と接しているのか

 

私はツイッターやブログで私と似たような意見や関心に出会うことが多いのだが、前の教会の人たちも同様に、似た者同士の環境を作って意見を固めているんだろうか、と考えた。

便利ではあるが、私も含め、ネット上の人間関係を似た者同士で固めてしまいがちだと、異なる意見との対話が起こらない、という指摘がたまに見られるが、たしかにその危険はあり、耐性も低くなりそうな気はする。

 

私は電話番号やメールアドレスを変えていないので、以前通っていた教会の断片的な話やお知らせなどが今でも入ってきて、ついいろいろ考えてしまう。

 

だいぶ前だが、ラインで「今も「ちゃんと」教会に行ってるのか」、「行っているならどこの教会なのか」と聞いてきた人に、最近お邪魔している教会の教派を伝えると「なにそこ?韓国系?」と反応された。えー、誰でも知っていそうな教派だがなあ…と思いつつ、いや、福音主義の伝統的な教会だ、新しい発見がいろいろあるよ、と返答したら、「うちの教会のほうがアイデアに富んでいる」と言われて話がおわってしまった。

 

その後、六本木での「バイブルスタディ」に誘われたが断った。話の様子では、実業界で「成功してる人々」が集まっていたらしい。

また、先日のフラ伏クリン・グ伏ハムの集会には前の教会の牧師一家が動員され、ステージに乗ったらしい。あれだけ小規模で会堂も持たず、他の教会とのつながりも弱い教会の牧師一家が、いきなり大きな会場のステージに乗ったら、かなり気分は高揚すると思う。案の定、立て続けに、どんなに素晴らしいか恵まれたかといった高揚したメールがやってきた。メガチャーチを目標にするという炎に、「油が注がれちゃった」のだろう。

 

一方、私が普段拝見しているブログでは、福音派聖霊派の自浄力のなさや、新興宗教的な側面を指摘していたり、福音理解や宣教のあり方に向き合う方たちがおられ、神に忠実であろうとする探求の姿勢が伺える。私はこちらに共感を覚える。

 

それにしても、「なにそれ韓国系?」という前述の言葉から分かるように、前の教会の人びとのいう「キリスト教会」は、激しい祈りと聖霊の満たしと奇跡に彩られたドラマチックな教会だけを指しているのだなあ、とつくづく思う。讃美歌を歌うような教会はアウトなんだろうか。

いったい、ふだんどんなメディアと接しているのか、どこからどんな情報を得ているのか、不思議でならない。

 

でも、九条と聞いたとたんにアレルギー反応を起こすその教会の教師の方が、テレビドラマに出てきた古いキリスト教団体の展覧会に行って「やっぱりキリスト教はすごいから~」とか言っていたことがあったのを思い出した。その団体ってあなたが嫌う社会活動をしてるんだけどなあ、と複雑な心境で聞いていた。ひょっとしてそういう人の評価ポイントは、「有名」かどうか、という一点に尽きるんだろうか。

 

戦後福音派聖霊派と、それ以前のキリスト教会とのあいだに、互いに接し、対話する機会はあるんでしょうかね。

福音派聖霊派の「牧師」や「教師」たちが、もし…仮に「もし」だけれど…キリスト教メディアを目にしているなら、そういうところで対話のきっかけが作られる可能性はあるのではないだろうか。好戦的な繁栄の追及が、本当に神の望まれることなのか、問い直すきっかけと接してほしい。