Bluebelleのブログ

一キリスト者の雑感と日記。独り言が多く、更新は不定期です

1代目の教会は世代交代に当たってどうするのかな



お百姓見習いのトンちゃん様という方が書いていらっしゃる、「どこかに泉が湧くように」というタイトルのブログを拝見し、2013年2月に書かれた記事が、今の私が持つ感覚とよく似ていると思った。


http://spring496.blog.fc2.com/blog-entry-200.html


しかし私が自分のブログに書いてきた、私が以前通っていた聖霊派の教会は、すでに2015年も暮れようとしているこの時期に、イベント路線をまっしぐらに進んでいるようである。


消費文化に誘導されていること、イベントに頼るしかアイデアがないことなど、教会の外を見るまでは「教会とはそういうもの」と思っていた。

ちょっと考えれば分かりそうなものだが、以前の私はこのトンちゃん様の記事のような意見や情報に今まで接していなかった。見聞を広げ過度の一般化をしないよう気をつける姿勢を持っていなかったことが悔やまれる。


そうしたライフスタイルや教会の活動のモデルなどに限界を感じるという点は私も同様だ。

上記のトンちゃん様の記事は、そのことをすでに2年前にご指摘だったというわけである。


私はその教会を離れたが、アメリカ風の大衆伝道型イベントと消費文化の組み合わせこそがキリスト教なのだと信じる前の教会の人から連絡をもらうたびに、複雑な気分になる。


なんで今さら大衆伝道型イベントなのかという問題には、私が思うに、たぶん2つの理由がある。

一つ目は、戦後にできた1代目の教会として、将来へのビジョンというと、「大衆伝道型イベント」モデルやスタジアムのようなメガチャーチ建設しか思いつかないこと。

元々他の教会との親交が薄いうえに、同じような教会にしか目が向いておらず、広くプロテスタント諸派を知ろうという姿勢はない。

なぜこの時期に積極的にイベントに手を延ばしはじめたのかと言うと、世代交代に当たって、先へのレールを敷きたい、その上で次の世代にバトンタッチしたい、その際ビジョンが必要だ、というわけみたいだ。

それで今さらイベントに積極的に手を貸し始めているようなのだ。


二つ目は、これまでのその教会の意義を、時代背景をすっ飛ばして「今」確認しようとしていること。

その教会の一世代目の人たちの話を聞いていると、存続が何にも優って重要だと思っていることが伝わってくる。自分たちが立て上げた教会であるとの自負から、次の世代に受け継がれるかどうかが教会の価値を表す、つまり次世代が「今まで「この」教会がやってきたことの価値」を認めれば引き継がれ、価値を認めなければ捨てられるように考える人もいるようだ。


存続より、信仰的に成長の助けになってるかどうかのほうが大事、と私は言いたい。そして、最近多くを学んでいることは、聞かれるたびに伝えてきた。

その教会に行かなくなってから(実はむしろ離れてからのほうが)、とはわざわざ言わないけれど。


でもこうなると、正論かどうかという問題ではないんだよな。感情的に、教会が「今まで」取ってきた歩みの価値を、「今後も」同じ方向でやる、と表明することで、これまでの価値を測ろうとしているわけだから。

何だかんだ言って、教会運営は、1代目の人達の人生プロジェクトだったわけだから。

そうやって感情的に確認したいという年配者に正論を言っても、愛のある対応というより、正論振りかざしにしかならないよなあ…。


私はトンちゃん様とは違い、今、自分がそこで育った(受洗は成人期以降だが)ことは脇に置いて進める状態になりつつある。だから傍観者的に考えたのだが、その「アメリカからやってきたかっこいいキリスト教」路線で行くにしても、世代間のギャップを埋めるのは大変だろうなと思う。

教会に限らず、教会外にも言えることだが、まずもって経済力が違う。そして大きいことは良いことだという感覚もない。

とても実践的な地平に立った話をするなら、若者をターゲットにするにしても、シュミがズレていると思う。今の若者と付き合いがあれば分かると思うのだが(キャンパスを歩いて観察してみると良い)、昔の若者に通用したスタイルは、現代のポップカルチャーとは違う。ヒップホップのはるか前のスタイルだもの。


いずれにせよ、次世代に「確かな」道を用意してあげたい、という善意からこのような状態に陥っているのが分かるぶん、複雑な気分 というか心が痛む。


これまでのスタイルしかない、と思わず、諸派に目を向けてほしい。まあ、これまで「感動に満ちたバンドのワーシップ」で単独でやってきた人達だし、そのスタイルこそが教会の特徴となっていたわけなので、パイプオルガンの教会のスタイルを学ぶなんて、プライドを捨てなければできないことではあるが。


そして、正直なことを言えば、彼らがバトンタッチしようとしている教会内の若者たち(男子に限定されている)は、今まで親元を離れたことがなく、「自分でやってみる」ことをしないで来てしまった人達が大半だ。

安全で安定した道を用意してあげたいのは、分かる。しかし、今がバトンタッチ前の準備期間であるならなおさら、他の教会の働きに加えてもらって親元を離れて学ぶなど、広くプロテスタントの教会を見る機会を得たほうが良いのではないかと思う。


それにしても、トンちゃん様の記事からも分かるように、同じような分岐点に立つ教会は、実は相当数あるのではないだろうか。


今の私にできることは、やはり祈ることだろう。