Bluebelleのブログ

一キリスト者の雑感と日記。独り言が多く、更新は不定期です

聖書の読み方が変わって気付いたこと:②パウロをどう受け止めればよいのか

今日は前回に引き続き、聖書の読み方の変化によって気付いたことを書く。これは以前通っていた教会での字義通り解釈から離れ、註解書やキリスト教書等を参照しながら、ゆっくりじっくり聖書を読むことで引き起こされた気付きである。またそうした字義通り解釈を行う教会の特徴的な活動ももちろん、聖書を読むことや理解すること、理解を実践することに深く関係していた。

 新たに得た気付きはたくさんあるのだが、中でも私が信じるキリスト教として自分が今まで語っていたことがひっくり返るほどのインパクトのあるものを二つ取り上げることにした。前回は①福音書の物語の中に書かれた政治的背景 について書いた。今日は②パウロをどう受け止めればよいのか についてである。

 

弟子訓練に力を注ぐ教会でのイエスの位置

 

以前私が通っていた教会は、前回書いたように、聖書の字義通りの解釈を実生活に当てはめることを推奨していた。そうした聖書の読み方は、説教や教会活動、信徒どうしのやりとりの中でも常に肯定され、確認され、実行にうつされていた。

 近年になって弟子訓練なるものがその教会の関心に加わった。弟子訓練というのは、韓国系の教会などで盛んらしいのだが、教会員の中に信徒のリーダーを数名立てて、そのもとに小規模なセルグループというものを作り、日常生活の中でも信仰生活を互いに支え合うといったものである。そこでは牧師が認めたグループリーダーがグループメンバーのために祈ったり、何かとケアするということになっている。そうしてイエス・キリストの弟子を育て、訓練するという趣旨である。

 このセルグループが始まる前から、その教会では洗礼をすでに受けた人が目指すものを「イエス・キリストを伝えることを使命としたイエス・キリストの弟子」みたいに定義していた。つまり目的語は「弟子」である。

 洗礼は、イエス・キリストを信じる者となる、という告白と一緒になされる。そして毎週の礼拝での説教は、おもに(訪問者もほとんどいないので)教会員に向けた啓発的な内容であった。そこではイエス・キリストのことが語られることが非常に少なかった。クリスマスやイースターは訪問者がくることもあったし、それらを祝う理由がイエス・キリストの生誕や復活であるため、イエス・キリストの話が出たが、それ以外の礼拝説教では、圧倒的にパウロの話が多かった。たまにダビデモーセアブラハムの話も出たが、文脈をすっとばし、神が彼らに語られた言葉を引用して説教がなされていた。いずれも主旨は「だから彼らのように神に従いなさい」というものであった。神は従順を求めていらっしゃる、あなたがたはイエス・キリストを信じる者となったので神に仕える者になったのです、というわけだった。こうやって、「弟子」とは「神に仕える者である」ということ、そして「仕える」とは「神を宣べ伝える」ことである、という説明が、手を変え品を変え、毎週繰り返されていた。これらに「聖霊に満たされる弟子」という像が加わり、そうした弟子像に接近すべく実践することが第一の課題になっていたのである。

 そんなわけで、イエス・キリストとはどのような方かを追求する機会はほとんどなかった。今思えば、前回の記事でも書いたように、イエス・キリストへの信仰を告白すれば、もうそれで弟子の段階へと移るという理由からだろう。ちなみに入信というのか、洗礼を受けるまでには牧師のセミナーのようなものがあったと記憶しているが、その内容は前回書いたような、四福音書のイエスの出来事の共通箇所を要約したようなもので、復活を信じるかという点に重点が置かれていたと思う。

 しかし最近になって、別の教派の教会が「イエス・キリストを模範とする」と言っているのを聞いて、えーっ!と驚いた。私のそれまでの環境では、使徒や弟子が模範として語られることはあれど、イエス・キリストはそのように捉えられていなかったからである。

 

勝利者としてのイエス」の弟子

 

さらに前回書いたように、イエスのできごとについてのその教会の解釈からは、当時の政治的状況や歴史的文脈は抜け落ちていた。そこで重要視されていたのは、(人間となった神の子イエス・キリストは神の意図により地上で過ごし処刑されたあと、)復活した、という点である。こうして死を打ち破り復活した方がわれわれの主である、という告白が、「弟子というわれわれ」の背後にある、という理屈である。イエス・キリストの地上での生きざまはそこでは問われない。ただ死に打ち勝った、悪魔を破った、ということが強調され、「だからわれわれには万能の力が与えられている」、「聖霊によって信仰があれば何でもできる」という弟子としての生き方が中心的な関心になっていたのである。

 しかし福音書をつぶさに読んでいくうちに、イエスの地での生き方を分かっていなかったということに気づいた(前回の記事)。イエスは弟子や人々が望むような武力と権威をもつ救世主として地に生きられたどころか、それとは正反対の姿である。私が以前の教会でほかの教会員と同じように「勝利者エス」を振りかざしていたのは、イエスの周りにいた福音書の中の人々と同じく、大きな勘違いなのではないか、と自問するようになった。そしてどれだけの大きな断絶がそのような理解と他の教派の人々とのあいだにあるのだろうか、とキリスト教理解をもう一度振り返らなければと思うようになった。

 

パウロや弟子たちのイメージと模範

 

そういうわけで、以前の教会では新約聖書パウロやその他の使徒が主に参照されていたのだが、これはキリスト者を「弟子として生きる」と定義する教会にすれば当たり前のことだったのだろう。新約聖書の多くをパウロの書簡が占めている。そしてそこに書かれていることは初代教会の営みやパウロの神学である。その教会はそれを字義通りに参照していた(とはいえ持ち物も共有しローマ、次いでユダヤとの対立に苦しんだ古代教会とは社会も時代も異なり、同じようにはできないとうすうす感づいてはいたのか、実際にそのような共同体を作ることはなかったのだが)。

 そして、おなじパウロであっても時代を経て書簡の文脈や事情も変化しているのだが、そういうことは捨象し、パウロを見習って宣教するのが弟子の務め、という具合に、熱血漢パウロという印象が理想的な弟子の像となり、それと似た人物としてダビデが参照されていた。神への服従的態度と宣教への熱意が信仰の物差しとして使用され、キリスト者となった者の努めは宣教以外にはないのだというメッセージのために聖書が使用されていた。ダビデが嫁に恥ずかしいと思われるほど熱狂的に踊り狂って神を賛美したとか、アブラハムが息子イサクを捧げたとか、モーセは自分の民のために地位を捨てたとか、そういう一文を抜き出して、自己犠牲的に宣教に身を投じることが神の望まれることである、という教えがなされていた。

 こうしたことに疑問を持つようになり、「理想的な弟子のあるべき姿としての熱血漢パウロ」像を離れ、今後は新約聖書パウロ書簡をどのように読んでいくか、考えたいと思っている。

 

宣教要員としてのクリスチャン

 

そういうわけで、自己犠牲的な宣教の役割を果たすことがクリスチャンであるという硬直的な定義に閉じ込められていたころは、こうした理屈の可笑しさに気付くどころか、その内部の論理で責め立てられるばかりであった。しかしそこから身を離し、書物や集まりでほかの人の考え方や見方を学んだことで、聖書の読み方も変わり、聖書を読むことが自分の経験の一部に染み通るように感じている。

 いまは、クリスチャンを宣教要員としてしか見ないのは、非常に危険だと考えている。一人一人にさまざまな特徴があり、ノンクリスチャンと一緒に生活するなかで自然ににじみ出るものがあるだろう。それを許容できないのは、人を愛しているとは言えないのではないか。役割を規定して物差しによって働きを測定するのは、人を道具化しているのと同じことなのではないか。またこれと共通して、人との交わりを「宣教の機会」として定義したり、活動をすべて宣教活動と定義することも、相手の人を「目標達成の道具」としてしか見ていないということなのではないだろうか。

 

今回2回に分けて、聖書の読み方が変化して気付いたことを書いた。これらはほんの一部だし、これからもたくさんの気づきが出てくるだろう。しかしたったこれだけの変化から、ぼろぼろとほかの部分の薄っぺらい理解や、それに連なる危ういキリスト教理解が明らかになった。自分では「助かった」と思っている。

 

 

 

 

聖書の読み方が変わって気付いたこと:福音書の物語の中の政治的背景

前回は聖書の読み方が変わったという話を書いた。そのせいなのかどうか、どうしてなのかという分析は省くが、新たに聖書の内容について気付いたことが多々ある。その中でも大きな枠として、①福音書の物語の中に書かれた政治的背景と、②パウロをどう受け止めればよいのか、という2点が、私の聖書理解に働きかけてくる。今日は1点目の、福音書に書かれたイエスの時代の政治状況について、以前通っていた教会での解釈や「理解の規範」と比較しながら書いてみようと思う。

 

さんざん書いてきたことだが、私が以前通っていた聖霊派の教会は、字義通りに聖書を解釈するところだった。その歴史的背景や文化、書かれた時期や各書簡の前後関係、執筆者の背景と事情、日本語への翻訳の問題、といったことは問題にはならず、むしろそれらを参照するのでなく目の前にある聖書それ自体が丸ごと「あなた」に与えられた神の言葉なのでともかく読めば分かる、というアプローチを取っているところだった。

しかしその教派ではない聖書の学びに出席し、それまで読む機会がなかったキリスト教書などを読むにつれ、福音書に書かれたイエスの時代の政治的背景を理解することで、福音書のイエスが意味するところが大きく変化した。分かり易くするために、あらすじという形で一部を書いてみよう。

 

以前の教会での教え:「イエスは何をした人か」

エスは弟子たちが律法を破ることを止めなかったり、ユダヤ教の指導者たちとは異なる見解を述べたりしたため、指導者や祭司長たちから憎まれるようになった。しかしそれは、罪がないのに十字架につけられ殺されることで、「死を打ち破り、復活するキリスト」という神のご計画をなすためには必要だった。そういうわけで、復活したキリストを信ずる者は、ご自分のひとり子を私たちの身代わりにして私たちを救って下さった神の愛を受け入れているということを意味するので、救いにあずかるのである。

→ 説教は主にこの語りでイエスを説明しており、たいていは「だから私たちはすでにイエス・キリストの弟子である」ので、弟子として十二弟子やパウロに従い、宣教のために人生を捧げましょう、と続くものだった。端的にいえば、「イエスはそういう神のご計画に抗わず従った犠牲の子羊」であり、信じるか信じないかを決定するときのステップになっている。ステップをふんで「信じる」と言えば十分であるため、イエスがどのような人だったか、それを伝えたり書いたりした人(たとえば福音書記者)はどのような人だったか、どんな目的で書いたのか、といったことは問われない。そのため、四つある福音書はどれも同じ話を書いているという理解のうえで、四福音書がつぎはぎにされて、一つの物語をなしているように読まれていた。各福音書は比較検討して読まれるのではなく、足りないところを互いに補うという、平面上のレイアウトのように扱われていた。別の言い方でいえば、このラインの物語の内容が時系列であるかぎり、四福音書の各部分はバラバラに切り取ってシャッフルされてもかまわないという扱い方であった。そしてこのようなラインを信じたと告白すれば、次のステップーー信じたので弟子として生きてゆくという弟子の段階ーーに進むのである。

 この信仰ステップのプランは、これ以上はイエスを語らない。イエスの物語についてそれ以上掘り下げることもない。ある意味、イエスは特殊な出来事で、救いを成し遂げるという限定的な目的を託された、後にも先にも人間になった神であるから、「弟子」となったワレワレは同じく「弟子」であったパウロや十二弟子を見習うのだ、という理屈で、弟子訓練に励むとか、教会活動に励む、といったように、弟子としての教会生活を行うことに重点が置かれる。

 

こうした読み方の根拠というか、基盤となっていたのは、どれも等しく神の言葉であり、付け足してはならない、他の書物などに照らして批判的に(疑って)読んではならない、という考え方である。また聖書に書かれていることは、歴史的事実と捉えられている。だから余計に、要約された四福音書のストーリーの共通部分が固まりとして提供され、これに色を添える程度に各福音書のフレーズなどが付け加えられるわけである。

 

その後出席した聖書の学びで知った政治的背景:

イスラエルは当時、ローマの支配下にあって、ユダヤ教は自分たちの祭礼や慣習を保持していたものの、政治的抑圧に苦しんでいた。その抑圧下にいた人々は、聖書に書かれた救い主が武力をもって抑圧から解放してくれることを望んでいた。そのような状況において現れたイエスは、人々が望んだような輝かしい救い主の姿からはほど遠かった。祭司や指導者たちもそのような状況の中、自分たちのアイデンティティともいえる文化と慣習を保ってきたのであり、イエスはそれに挑戦した。律法を守り神に最も近いはずの彼らが、罪の無いイエスを十字架につけて殺すよう、自分たちの律法の支配の外にあり、つまり神に従った判断ができないはずの、自分たちを抑圧するローマに要求した。当時死刑を宣告できたのはローマだけであった。ユダヤ人たちの律法では罪に定められないという事実にあきたらず、彼らは異教のローマに人の罪を裁くことを要求したのである。しかしこのローマもイエスには罪は認めなかった。それなのにユダヤ人もローマも、罪がないのに死刑にするという判断を下し実行したのである。

→ この部分は先述のシンプルな「イエスとは何をした人か」で書いたほんの一部でしかない。しかしこうした歴史的背景を理解するだけで、人間が律法を扱い正しくあれることの限界を、ユダヤとローマを通じて理解することができる。そして期待された救い主の像とイエスの違いが分かり、それがことさらに「武力にも地位にもよらない」救い主が何を人々に語り行ったか、ユダヤ教の指導者たちと何が違ったか、などなどを浮き彫りにするのである。

 このほかにも、四福音書を書いたそれぞれの記者の背景や意図といったことも考慮の対象になるが、とりあえず置いておこう。先述のストーリーからは、こうした理解は抜け落ちている。説明をする部分の理解を厚くするからイエスに目を留めることになるのはもちろんだが、それ以上に、こうした考察が聖書の記述と相まってはじめて、こちらに語りかけてくることは重要だと思う。そして、続きは次回にするが、イエスという人に自分は本当に出会えているか、知った気になっているだけではないのか、そこに書かれた弟子たちのことも分かっているのか、彼らが持った信仰とは何だったのだろうか、と自問することにつながる。

 

正直、こうした知識はキリスト教学校に行っている人の常識だろうが、恥をしのんでも書いておかねばと思った。聖書を電化製品のマニュアルのように読むことと、検討しながら読むことは、ぜんぜんちがう。後者の豊かさは知識を付け加えるから出来上がる量的な豊かさではなく、質的な豊かさだと思う。それを言いたくて書いた次第である。

字義どおりに読む聖書は死んでいた

まだまだ続く、私がいままで知らなかったキリスト教

私の場合、「いままで知らなかった」というのは、「異文化だから」とか、「馴染みがないから」という理由ではない。以前通っていたプロテスタント聖霊派)教会での生活が、非常に偏っていたゆえである。

だから他の教派の人からすると、そんなことも知らないの?!と驚くようなことも多々あると思う。

しかし恥をしのんでここに書くことで、自分の経験を整理し、成長につなげて行きたい。また、同様の環境にいる人が、自分の「キリスト教理解」とか「信仰」を考えるきっかけになればと思う。

 

この2年ほど、さまざまな教派の人が集まる聖書の学びに出席している。そのために註解や解説書のようなものを読むようになった。そして自分の聖書理解がいかに不足しているかを日々痛感している。

 

ちなみに以前通っていた教会は、特定の聖霊派の本は推奨するが、神学や他の宗派の人の書いた本は「信仰にとって危険」なものだと周知していた。哲学も「人を高ぶらせる知識」として忌み嫌われていた。聖書はそのまま字義どおり読むのが純粋な読み方であり、読めば霊感によって理解できる、というのがその教会の主張だった。

そんなわけで、福音書のテクストは霊感によって書かれたのだから、書いた人がどのような人か知る必要はないというのが彼らの主張だった。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4人を「福音記者」と呼ぶこともなかった。なぜならそれらの人々は神に用いられて神の意を記しただけであり、彼らの意図とは関係ない、というのが彼らの主張だったからだ。その考え方によると、聖書のどの箇所もすべて、俗っぽい言い方でいえば「霊に満たされて」本人の意図とは関係なく書かれたということらしい。だからそれらを書いた人がどんな人かという点は無視してしてよい、書かれた言葉だけ字義どおりに読めばそれでよい、という説明なのであった。簡単に言えば、筆者ごとに関心や特徴が異なるにも関わらず、聖書は一般の書物とは違い「自由意志をもつ通常の状態の筆者」が書いたのではない、という説明によって、排除されていた。

 

そう教えられてきた私は、「人の意図によって聖書を曲げては大変だ」と信じ込み、「純粋な読み方」をすべく、註解書も神学書も、歴史解説書も避けてきた。そんなわけで、私はその教会を離れ、いろいろな教派の人が集う聖書の学びに参加してはじめて、聖書が編纂された歴史的背景や、新約聖書の記述の背景、当時の事情、「福音記者」(!)がどのような人だったのか、などなどを意識するようになったのだった。はじめは非常にきつい忌避感があり、「純粋な読み方をしていないのでは」、「タブーをおかしているのでは」と脅えていた。しかし、こうした分析的な読み方の初歩に踏み出すにつれ、知りたいという自分の気持ちに肯定的になりはじめた。自分自身の関心や興味が解放されると、不思議なことに、聖書が一方的な神の言葉の自動筆記の結果ではなく、自分と同様に意思があり、人生の営みを持つ人間が神との対話において書いたものであると感じるようになった。すると聖書が息吹をもつような、対話の中に息づくことばであり、その中に自分も参加しているように思えるのだった。

 

このような変化は、私にとっては不思議なことだ。この変化は聖書というテキストへの分析の視座だけにかかわらない。たぶんそれは、神と人間との関係のあり方についての私の観念を変化させたのだと思う。一方的に語り対話を拒む神の言葉から、異なる個と対話する神の会話に、筆者とも異なる自分が参加する対話へと、見方が変化した。

 

こうした大きな変化のほかにも、聖書を読む中で具体的に理解が変化した箇所が多々ある。次回以降はそのことも書きたいと思う。

 

 

「教会員」なのかキリスト者なのか

今日は前2回の投稿に続いて、最近通っている講座や聖書の学びから、以前通っていたプロテスタント教会での経験を振り返ってみたい。

 

以前通っていた教会では、週一回の礼拝や、弟子訓練セルグループという少人数の教会外での集まりで、②で挙げたような「正しいキリスト教」の規則が伝達され、共有されていた。さらにこうした規則のみならず、日常生活が「信仰深い」ものとなっているかどうかも関心事となっていた。それは「聖書を日常生活に適用する」とか、「神様を第一にする」といった言い方で推奨されていた。

 

この考え方では、神に捧げる人生を送るのがキリスト者の務めであり、それを実現しようというものである。そのような務めは、教会への献身的な(犠牲を伴う)奉仕、教会への協力的態度、聖書を読んだり祈ったりすることの厳守、②で書いた規則の遵守を指していた。そして教会員同士がセルグループに入って密接な関係を持ち、世に流されないために互いに励まし合うことが推奨されていた。

 

まあたしかに聖書は神を愛せよと言っているのだが、その教会では神を愛しているかどうかを主に上述の行為によって計っていたため、これらを行わないと、信仰が足りないとか、神を優先していない、と言われてしまう。そして実質的にはセルグループのリーダーが日常における信仰深さの測定基準を作っているようなところがあり、毎日どれだけの時間を聖書を読むことと祈りに費やしているかを尋ねられる。日常生活のあれこれを、正しく行っているかどうかが指導される。

また一人一人に聖霊の賜物が与えられており、それを活かして教会の役に立つ人間になるためにどのような研鑽を行っているか、といった話も「キリスト者なのだから当然」のこととして尋ねられていた。この場合、「教会の(直接の)役に立つ人間」というのが重要なのである。その教会は比較的規模が小さく、もう何十年も運営されているのだがとくに華々しい活躍はなく、親教会に認められたいという一心で教会としての業績を意識しているようなところがあった。教会員の中には、民間の団体で社会貢献の分野で立派な働きをしている人がいたのだが、それは教会の活動ではないからと切り捨てられていた。その分野の活動を教会で行おうというときももちろん、その人の助言を仰いだりすることはなかった。本当にもったいない話である。

 

実際にはそれぞれ仕事や学校があり、家庭があり、教会の外の世の中と関わらずに生きている人は一人としていないのだが、あたかも教会がすべてのように生きることが推奨されていた。それが洗礼を受けた者の「新しい人生」なのだということらしい。

 

しかしその教会やその界隈の外で、ほかの教派などに触れてみると、今のところ、そこまで閉鎖的なコミュニティを作ろうとしていない感じを受ける。私が最近出席している講座や聖書の学びでは、一人一人が異なる人生を持っていて、その一部として講座や学びに出ているという態度で接してくれている。もちろん聖書を毎日読み、毎日祈り、教会の奉仕をすることにも否定的ではない。しかし教会がすべてのように振る舞わなくても仲間であると認めてもらえているという感覚である。

 

この点でも、②で書いたような多様性の許容に大きく関係している。つまり以前の教会では、個々の社会関係が最も集中する場を教会にしよう、というよりも、その教会の人間として「生まれ変わる」ことがキリスト者としてのアイデンティティの獲得を意味していたのだろうと思う。これに対し、私が最近顔を出している学びのグループは、社会関係が教会や特定のグループに集中することはあれど、教会がアイデンティティを決定するわけではない、という考え方をしているのではないか。

 

私も含め、人はそれぞれ得意なことや苦手なことがある。そして得意なことを活かせる環境がいつも教会内にあるとは限らない。それを「「聖霊の賜物」だから教会で使うべき」として、教会員を「教会のために生きる人」に変えることが至上の価値になってしまっていたのではないか。それは実は本人のためにも、教会のためにもならないのではないかという気がしている。

 

「キリスト教」という「型」の違いと多様性の許容について

今日は前回の続きである。

カトリックの神父による講座や、今参加している聖書の勉強会と、私が知っていたプロテスタント教会やその界隈との違いから感じたことを書いてみる。


前回は、①「神」という語が出て来る頻度が違う ということを書いた。
今日は② 枠はあるが内容をこと細かに指示しない という点についてである。

 

私が通っていたプロテスタント教会では、「クリスチャンとしての規則」のようなものが礼拝の説教で語られたり、礼拝以外のディスカッションや聖書の学びといった活動、さらに「弟子訓練」という少人数での集まりの中で共有・再確認されていた。

それらは指針というより規則に近かった。内容は、酒とタバコは悪、神社の鳥居をくぐってはいけない、焼香は駄目、異なる宗教の儀礼に出席するのはタブー、といったものだった。これらは牧師、もしくは役員が聖書の抜粋箇所を参照して正当化し、行動への制約として述べていたものである。

さらにクリスチャン以外との結婚はよくても「遺憾」なものとして扱われ、ひどい場合には直接「神に逆らっている」、「不従順」、「不信仰」との言葉を投げかけられるのであった。

こうやって共有されたタブーのほかにも、もう少しトーンが弱い規則もあった。ファンタジー映画や小説、聖霊派・カリスマ派以外の著者の本、進化論を肯定する書物や学校、社会運動などなど。そして他の宗派はとても忌み嫌われており、キリスト教の仲間どころか、「敵」とすら表現する人もちらほらいた。

そういう「敵」の特徴として、「型」をもった信仰というものが挙げられていた。たとえば祈禱書、建物の様式、イコンや象徴の使用、典礼、教会暦。それらは「型」であり中味を欠いている、信仰は心の態度の問題でありわれわれは心を変える必要がある、「型」に頼るのは信仰ではない、「型」を信仰するようになって偶像崇拝である、といった理屈であった。立派な教会堂などをありがたがるのは中味を見ていない証拠である、という。

 

教会の週一回の礼拝も、弟子訓練という教会外での集まりでも、こうした「心を変える」ことで「新たに生まれ変わ」った日々の営為が教えられていた。こうした規則というのは、ある意味、分かり易い。チェックリストのようなもので、何をクリアしていれば胸をはっていられるか明らかなのである。

 

私もはじめのころはこうした考え方に疑問を持たなかった。しかしその教会を離れ、カトリックの講座に出たり、聖書の学びに出たりしているうちに、疑問をもつようになった。

そのプロテスタント教会(やその界隈)が言っていたような祈禱書、様式をもつ建物、象徴、典礼、教会暦といったものは言語化されない理解を人にうながす。その解釈は多様であるが、その講座はそれを当たり前として許容しているようだ。また聖書の学びを進める中で、以前は読まなかった註解書や神学の本なども読むようになったのだが、そうした本も個々の生活に踏み込んで矯正するような方向には働いていない。

 

それで考えたのだが、以前通っていた教会は、「型」を嫌うわりに、個々人を「型」にはめていたのではないか。キリストの救いによって自由になった、というが、その後の生活は規則を守ることで「新しく生まれ変わった」と見なされる。彼らはこうした規則を「律法」に準ずるものと考えており、旧約聖書と同じく人間には律法が必要なのだと言って正当化していた。

 

新しく生まれ変わったから規則がなくてもこれまでとちがった生活を送るようになった、というのとは逆の因果関係ができている。それが自由なのだろうか。ここには日本で一般的に考えられがちな「自由」という語の定義の誤解があるような気がする。自由という語は巷で「自分本位に好き勝手にふるまうこと」という意味で使われることが多い。だから制限すべきものとして認識されていることが多々ある。このあたりはもっとロマ書などを読んで考えてみようと思うのだが。

 

一つ現時点で言えるのは、型にはまった信仰と思われるような、お堅そうなカトリックや伝統的宗派の聖書研究が、実は個々の多様性を許容していることである。今出ている講座や聖書の学びは、生活態度に関する指示というものがほとんど無い。そういう指示を求める人には肩すかしなのだろうが、聖書を読み、考え、自分で判断させるように促している。

逆に型にはまらない本当の信仰という売り文句のところが、個々の生活態度に踏み込んで心をコントロールしようとしており、かえって個々の多様性を認めていないことである。

 

これらは「窮屈な伝統的コミュニティ」というイメージとごっちゃになって、見過ごされているのではないかと思うことがある。前近代的な伝統的コミュニティと昔は言われていたような地域に行くと、皆に共通するゆるい枠を守れていれば、それ以上踏み込まない、個の違いを許容する地縁関係があったりする。「あの人はそういう人」、「それはあの人の好み」、で済むようなことまで、ことさら同化させようとはしない。

そういうわけで、伝統的な宗派が多様性を許容できる仕掛けと体勢をもっていることに気付いたのだった。

 

神の名をみだりに唱えていた?

さて、前回の投稿で書いたカトリックの神父による講座や、今参加している聖書の勉強会について。

私が知っていたプロテスタント教会やその界隈と、以下の点が違うと感じた。

① 「神」という語が出て来る頻度

② 枠はあるが内容をこと細かに指示しない

③ 自己啓発的な「生き方指導」がない

 

今日はこの①を取り上げる。

 

私が知っているプロテスタント教会は、何かにつけて「神」を語っていた。

「神はあなたに最高の人生を用意しておられます」、「神は愛です」、など、神を主語にする語り。また「神は今、◯◯を計画していらっしゃいます」といった語りなど。

このような傾向は、その教会の教会員が参加する集会などにも見られるものだった。だから当時はその特殊性を疑問視することがなかった。

たぶん2時間の礼拝のうち、聖書の朗読でない場面(説教、ワーシップソング、アナウンスなど)で、「神」という語が出て来る回数は、平均5回を下っていなかったと思う。

 

しかし、今通っている聖書の学びでも、このカトリックの講座でも、神を主語にした語りが非常に限られている。

このカトリックの講座では、「善きこと」、「善きもの」、「善き方」という語が出て来るのだが、これらが「神」に相当する意味で使われているような気がする。そして神に関する理解は、聖書の箇所を示して、各自が読む中で理解するような構成になっている。

また、以前の教会の教会員たちが読みもせずに悪口を言っていた書籍や宗派(FEBCキリスト教放送のホームページに寄稿したりしている方々)と対立しない聖書の学びに通う中でも(ちなみに私はそうした方々の本を今は参考にさせていただきながら学んでいる)、聖書の具体的な内容との関連で「神」という語を使用することはあれど、感話の中で「神は◯◯です」などと語られることが少ないと感じた。

それで、以前の環境でやたらと「神」とか「イエス様は」を連発するのは、実は不遜だったのではないかという気がしてきた。

 

そうした主語で語ることのあやうさは測り知れない。

第一、神を信じている、イエスを信じている、と言うことと、自分は神について語れるほど神を理解している、と言うことは違う。

神とはどのような方か、という説明は、以前通っていた教会では、「神は愛です」、「神はみなさんを祝福する方です」といったようになされていた。それらは聖書に書いてあることを要約し、中から抽出して語られている。聖書を読まなくても「だいたいこんなところだ」という程度に、スローガン的に神を語れるようなフレーズになっている。これは神と「直接つながり」、宣教を行う個を大量に生産するには都合のよい、分かり易いフレーズである。こうした言葉は「聖書に書いてあるらしいのですが」という前置きを省略して語られるため、あたかもその人本人が直接見聞きしたかのような表現になっている。しかしこうした言葉に到達するまでの経験や、聖書と向き合う中で建て上げる厚い関係性というものはそこに含まれていない。実際には「聖書にはこう書いてあるらしい」という以上の説得力も厚みももたない。それなのに「〜です」と言い切ってしまうこと自体が、軽薄であり、不遜であると私は思うようになった。

 

たまに神を身近で親しみやすいフィギュアのように語る人も散見されるが、これもそのような軽薄さの一種なのではないかと思う。とくに、神を父として、それもベタベタの甘やかされた同類の関係のように語り、自分は神様というdadのbabyなの、などと語る人がいるが、「親しみやすいアイドル」との関係になぞらえて、何か勘違いしているのではないか。そこに不在なのは、畏怖だ。私は怖がれ、恐怖を知れ、と言っているのではない。他人という人間すら知り尽くすことができないのに、まして神というとてつもない方を「知っている」ように語ること自体が、神を矮小し、手軽なアイドルのように扱う、とんでもない行為であると思うのだ。本当に知っていたら、その偉大さに対する畏怖が生じると思うのだが、「神と親しい私」というシナリオだけに捕われているだけではないのか。

 

さらに危ないのは、神を代弁できると思っていることである。

そうした代弁は「神は今、◯◯を望んでおられます」などといった形でなされる。「聖書に書いてあるところによると」という前置きを省略した前述の言明よりさらに圧力をもつ言い方である。この言い方は、人間が語っているというのに、絶対意思、絶対服従の意味を伴う。これは聞く人を支配しコントロールにつながる、とんでもないことである。こうした言い方が、教会の運営やイベントの計画、さらには教会員の進路に至るまで適用され、聞いた人は牧師や役員が本当に神を代弁する「油を注がれた器」だとして恐れ、服従してしまう。

 

頭がしっかりしていれば、そんなことを言って圧力をかけること自体がおかしいと気付く。しかしこうした「標語的な信仰」の枠の中で、パターン化された言動だけが承認されることを繰り返していると、自分の頭で考え探る力が失われて行く。「神」との関係についても、パターン化された言説や指標を参照して「神との関係」を語り、評価されることの繰り返しにとどまってしまう。自分は神を本当に理解しているのか、もっと理解したい、と思うにせよ、こうした言説との一致が到達目標になってしまうため、それを突き抜けることはできない。この言説を天井として、その下で手を変え品を変え、「信仰ストーリー」を紡ぎだす。しかしその言説の外には信仰はないのか?神はその言説の籠のなかに住まわれるのか?

こういう型に捕われていたら、その型自体を信仰の対象にしているのと同じなのではないか。こういった、他人が言明する「神」の理解をコピーして、神の名をみだりに唱えることは、人間には到底不可能であろうけれども真実を知りたい、という信仰とは全くちがうと思う。

 

一年ぶりの近況

なんと2016年に一回記事を投稿したあと、さらに一年が経ってしまった。

 

二年前に、自分の知っている教会がすべてではない、キリスト教を理解するには、私が自分の知るプロテスタント界隈で得た経験や知識では足りない、むしろ理解を妨げていたかもしれない、と気付いた。

 

今は、2015年に通い始めた聖書の学びに定着し、聖書の精読に近いことをしている。少し余裕が出てきて、当時の歴史文化的背景や原語にも関心を持ちながら読むようにしている。

教会には通っていないが、自分の心の健康は建て直されてきたと実感している。特に、好戦的な攻撃性から離れたことは、自分にとって本当に良かったと思っている。

 

しかし正直なところ、以前の「教会の教え」がひどく自分の内面を蝕み、今もその影響に苦しんでいることも認識している。

 

前に通っていた教会は、カトリックや、プロテスタントの他の宗派、神学、哲学を毛嫌いしているところだった。

二年経って、いまだにその禁忌による忌避感が残るにもかかわらず、私は最近カトリックの講座に数回出席した。

ここでも新たに気付くことがあった。

この講座は神父が宗教哲学を参照しつつ語るものなのだが、初心者向けということもあり、膨大な参照文献と付き合わせて勉強をするような内容にはなっていない。聞く人が聞けば、キリスト教の歴史に重要な哲学者の議論が盛り込まれていることが分かるのだと思うが、私はあまり詳しくないので、おおよその見当をつけて聞いている。

 

今後はあまり間をおかずに、気付いたことを書いて行こうと思う。