Bluebelleのブログ

一キリスト者の雑感と日記。独り言が多く、更新は不定期です

小規模な一代目の教会での経験から近代との関係を考える(1)

 

前回の長いまえがきを経て、本題に入る。

私が前の教会の先行きにとまどい、自分はキリスト者としての立ち位置を見失っていると感じたのは、近代が現実から乖離していると実感していたからだと思う。その不安定な感覚をほかの人と共有できていたかというと、できていなかった。

かいつまんで言うと私は、キリスト者としての自分を、そうでない人も含め世の中でどう位置付けたらいいか、見えなくなっていた。現実から乖離せず、地に足の着いた歩みをするために、近代という縛りの正体を知りたい、と思った。

クリスチャンであろうがなかろうが、「この世」つまり世間一般と関係を絶つわけにはいかない。閉じたクリスチャン共同体を作って鎖国でもしない限り、「世とはちがう」といくらクリスチャンが言ったところで、世間一般からの影響は必ずあるし、社会制度や社会構造にわれわれも頼って生きている。だから自分と教会、自分や教会を取り巻く背景を、近代をキーワードに考えてみようと思う。

 

◇ 私の記事での「ポストモダン

 

まずポストモダンについての私の理解であるが、キリスト教書は参考にしておらず(というか今までほとんど読んでいなかった)、一般的に学部の社会学あたりで得た知識の範囲に基づいている。

ポストモダンというのはモダンという語が入っていることから分かるように、私は近代の特徴となっているさまざまな理論に対する批判の総称だと捉えている。近代に特徴的な社会理論や技術論、哲学、美術、その他さまざまな分野の理論に対するアンチテーゼの総称であり、アプローチは複数あって、これがポストモダン理論だというものは無い。だからあくまでも特定の分野の理論的な対象に対する批判的姿勢であり、また「近代のあと」の時代を形容する語だと考えている。

 

  • 近代化を阻害する「文化」的な要因と教会

 

ミーちゃんはーちゃん様がおっしゃるような

「なんちゃってモダン」

その1 http://voiceofwind.jugem.jp/?eid=904

その2 http://voiceofwind.jugem.jp/?eid=908&PHPSESSID=95542102fc507ae406823ff1ab2dec14

その3 http://voiceofwind.jugem.jp/?eid=909

は、日本に限らず近代化を進めてきた他国でも観察される。その分かりやすい例として、明治・大正時代はちょっと置いておいて、戦後の国際開発援助における文化の位置付けを考えてみよう。制度や思想が持ちこまれ、形だけはモダンなのだが、内発的に生まれたわけではないため、その形(建物でも政治行動でも思想でも制度でも)が機能しない、現実とズレる、といった問題は、開発援助の現場での有効性を望む人たちがぶつかる共通の問題である。日本は開発援助の「支援する側」だと思いがちであるが、日本は1952年に戦後復興のために設立された国際復興開発銀行(IBRD:International Bank for Reconstruction and Development)とIMFに加盟している。日本もれっきとした債務借入国で、世銀からの債務を完済したのは1990年だったのである(外務省「日本の戦後復興」より)。「国際」開発の対象は全世界に広がっており、それらを網羅した開発政策やプログラムが実施されるのであるが、そうした開発プログラムの背景にあったのが、近代化であった。

Anthropology, Development and the Post-Modern Challenge (Anthropology, Culture and Society): Katy Gardner, David Lewis: 9780745307473: Amazon.com: Books

私が学部生のころに読んだこの本、すでに「ポストモダン」を題に掲げ、すでに20年近くが経過しようとしているが、開発援助において西欧The Westの社会モデルとされ、その他の文化を「開発の障壁」(p.15)とみなす感覚を今も持ち続けている人はたくさん社会にいると思う。慣習、組織、政治社会制度、思考、技術、儀礼などなどの「前近代的」な「文化」が近代化を邪魔していると考える人たちだ。その場合、近代化と西欧化は渾然一体となっている。

 このような文化の見方は、西欧社会モデルへと到達しない理由を、文化との整合性の欠如に求めている。そういう面は否定できない。しかし文化と認識されるものの内実は、実はそんなに整合性のあるものとは限らない、とか、文化というものを理想化し過ぎである、とか、文化が記述者によって恣意的に書かれてきた、とか、文化集団の特定の人の代表性をもって文化を定義している、といった批判が80年代に渦巻き、文化がいかに記述者によって「構築」されているかに意識的にならざるを得なくなった(脱構築)。だから私は今は、「近代化を阻害する文化的要因」という話をするときは、文化という概念ではなく、もっと丁寧に見る姿勢をとろう、という態度に落ち着いている。

 

◇ アメリカを目指した教会の例

 

なぜこんな話になったかというと、戦後の日本の近代化に着目すると、私が育った郊外の状況と、私が以前通っていた教会の状況をより良く説明できると考えるからだ。アメリカからの宣教師によって戦後創設され、アメリカ人宣教師や教会員が一時期存在し、大きく影響を受けていたその教会は、「西洋型社会」の類型として「アメリカ社会」を(想像上であれ)模範としていた。「アメリカになるべく努力しているのにそうならない、おかしいな」と感じつつ、現在に至るという状況であった。

それらの宣教師や教会員は日本の伝統文化(雅楽や柔道、お茶、お花、etc…)の精神性は非西欧的だから危険だ、悪い霊に縛られている、などと言っており、それが原因で長いこと研鑽してきた伝統文化活動を捨ててしまった教会員も複数いた。

そういった事情があったから、結果的に「キリスト教(=西欧(アメリカ)」的に当たり障りのない消費文化を消極的に選択せざるを得なくなったのかもしれない、と今は思い返している。まあ、いろいろな教会員がいろいろなことを言う。あちらからは伝統文化は危険だと言われ、こちらからは神学は危険だと言われ、ほかの人は非西洋は危険だと言い(失礼な…!)…教会の中核にいる人は立っているだけで精一杯だったのだと思う。だから以前の記事で私が仰天したような、ハーレー・ダヴィッドソンかっこいい、みたいな選択肢しか残されていなかったのもしょうがないのかなと思う。

 

つづく

 

(11月8日 春日直樹『遅れの思考』アマゾンへのリンク削除  まとまったレビュー書いたらまた載せます)


 

小規模な一世代目の教会での経験から近代との関係を考える(まえがき)

 

キリスト教会の教職者ならびに信徒はポストモダンを意識してるのかなー、近代の「ぼやけ」をどう払拭すればいいのかなー、と以前書いた。

ミーちゃんはーちゃん様が「なんちゃってモダン、なんちゃってポストモダンと日本の教会」と題する記事をお書きで、その3で重要な注意を喚起していらっしゃる。

 

なんちゃってモダン、なんちゃってポストモダンと日本の教会(3)最終回 | 一キリスト者からのメッセージ

合理性を万能とし、無理やりに合理性の枠に押し込めようとする近代の性質。教会生活については、ポストモダンを多元的何でもありの世界のように捉え、かえって「自分の思うキリスト教一色で塗りつぶされないと気が済まないというモダン時代のキリスト教」という、それこそモダンの特徴をもってポストモダンを生きる状況になってしまうのはまずい、とのご指摘だと私は理解している。

モダンの残滓との戦いはまだまだ続くであろう(ハァ~…)と仰りつつも、モダンもポストモダンも人間が社会を見る視点であって、神ご自身はその枠組みで捉えられるような方ではないという重要なご指摘もあった。それでもしかし我々は「…時代にふさわしい神学を形成し、神学をしなければならない…」とお書きであり、私はこのことを、知的営為をもって神との関係を求めることへの肯定と励ましとして受け止めた。

正直なところ、以前私がいた環境では神学を毛嫌いする人ばかりで、神学どころか、キリスト教関連の話題を文字にすることすら忌避していた(!)ため、このところ、カルチャーショックに近い体験が続いている。神学って文字と勉学の別世界みたいに思っていたけど、神学から学ぶものがあって、それで自分のキリスト者としての歩みが豊かになるなら良いのじゃないかと思うようになった。また、ミーちゃんはーちゃん様のブログや、そこからリンクの貼られたブログなどを拝見して、N.T.ライトの『クリスチャンであるとは』(一般書に近いのだろうけど)を皮切りに、神学とはラテン語による研究の蓄積よりもっと幅広いのだと知った次第。

こんなことすら知らないなんて、とびっくりする方もおられると思う。しかし、わざわざあえて書くのは、私と同じように自分に制限をかけているクリスチャンがいかもしれないし、少なくともそういう状況にいる人たちが現存するからである。もちろん、合う合わないという問題もあるだろう。どのようにキリスト者としての自分を成長させて行くかも、人それぞれだろう。

 

また

プレモダンとモダンと教会と新幹線(1) | 一キリスト者からのメッセージ

では、日本とヨーロッパの鉄道の違いから、キリスト教会の集団組織の統率の特徴をうまい具合に説明なさっている。日本の場合、エンジンによる動力を鉄道の編成に分散して持たせ安定した高速を実現しているが、ヨーロッパだと大出力の少数のエンジン搭載車両で走らせるとのこと。キリスト教会にもこのような特徴の違いが認められるのではないかというご指摘である。これも組織論的に重要課題なので、今後あれこれ考える参考にさせていただこうと思う。

 

◇ 私がなぜ近代とポストモダンに引っかかっているのか

 

さて、私自身は神学とは関わりのないまま現在に至るのだが、3回に渡るミーちゃんはーちゃん様の「なんちゃってモダン、なんちゃってポストモダンと日本の教会」を読ませていただいたうえで、再度ブログの下書きをタイプしては読み直しの繰り返しをしたら、「なぜ私はこんなに近代とポストモダンに引っかかっているのか?」という疑問が出てきた。

 

私はキリストを自分の救い主として信じる一信徒であり、定まった教派に現在属しておらず、「教会さがし」中(たぶん)である。

それまで通っていた教会で、大規模で派手なモデルを目指した目標に納得できず、かといって自分が描くビジョンがあるわけでもなく、自分は堅実なものが欲しいと考えて離れた。でも以前いた教会の描く未来像を他人事として笑えないというか、元々同じ文脈を自分も共有していたのだよなあ、と思う。

これからどうしよう、と自分と向き合うと、これまでの自分のクリスチャン性(という語で表せるものであればだが)は、大きく近代に依拠していたのだと気付いた。それは自分自身が育ってきた地域特性とも深く関係しており、前に通っていた教会と、その中にいた自分は、時代限定的なその地域社会環境をモロに表していると思う次第である。

 

前置きがすでに長い。長すぎる。

しかしまだまだ長くなりそうだ。なのにテザリングで頑張っているから、ブログでの投稿にすでに20分以上かかっているので、あとは次回にまわすことにしよう。

 

つづく

「公同の教会」以前に考えたことのメモ

 

再び、前に通っていた聖霊派の小さな教会では聞いたことのなかったフレーズから考える。

 

最近お邪魔するようになった伝統的な教会では、使徒信条を唱える。

「…聖霊を私は信じます。また聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだの復活、永遠のいのちを信じます。」

 

「教会」ではなく「公同の教会」となっているが、公同とはどういう意味だろう。

 

その教団の歴史的背景を考えて、アウクスブルク信仰告白における共同を意味するのかな、などとこの数週間考えて、この下書きをメモに保存しっぱなしだった。

そしたら、ミーちゃんはーちゃん様のブログ経由で読ませていただくようになった、山崎ランサム様のブログの最新記事が、ズバリ公同の意味を扱っており、なんてタイムリーなんだ!とビックリした。

鏡を通して ―Through a Glass― | For now we see through a glass, darkly; but then face to face. . . (1 Cor 13:12)

 

ランサム山崎様は英語の聖書を引いて、公同が小文字の「catholic」すなわち「普遍」と表現されている点から、われわれは自分たちだけが正統であると考えるのでなく、「…教団や教派の違う兄弟姉妹とも偏見なく交流を持つ…」志向の大切さをご指摘である。

 

ちなみに「公同の教会」でググってみたら、なんとWikipediaにも「公同の教会」という項目が立てられている。まあ、いったん主観的な以前の「聖霊派教会での私」を離れて、キリスト教史を「知らないし聞いたこともない」と追い出さず*に考えてみると、これは大きな項目であって当たり前だな。ちょっと調べて見当がつくような問題ではない。新約聖書ギリシャ語、ラテン語ヘブライ語、英語、日本語を当たる必要もあるし、語義が分かっても使用の背景や聖書の解釈、教会の歴史的経緯を背景として適用範囲が異なる、ちょっとやそっとでは歯が立たない問題である。

*「=自主検閲せず」。私は前の教会では、キリスト教に関わる小難しい書物はよくない、特定のお墨付きの本以外は危険だ、などと言われ続けてきた。聖書も字義通りに読む人たちのあいだにいた。だいぶバランスを欠いたものの見方が補強されていると思う。今は自分の忌避に対して意識的になるよう頑張っている。

 

しかしここになぜ引っかかるのかと言うと、やはり個人的に前かよっていた聖霊派の教会とその他の教会の違いに愕然となったからなのだ。とても私的な理由であるが、普遍性以前に、共通性を確認したいと思ってしまうのだ。

 

教会が生きた人間の集団である限り、私の教会に対する理解は常に「集団」を参照する。理想的な教会像というものはあるだろうが、地に足をつけて人間をやっている限り、人間の集団は人間の集団であり、理想像そのものではない。

しかしキリスト者としての私からすると、それでも聖書は共有しているし、イエス・キリストが救い主であり、「キリストをかしらとする教会」という表現に、実体が示唆されているのだと思える。こうした基盤を持つ点が、現在の世俗の学問とは異なるところだと思う。

 

この問題にはさらに、私のほかの疑問も絡んでいる。

それは、公同かどうか以前に、私という一個人と教会というものの関係性についてである。教会に限らず社会集団といったほうが分かりやすいかもしれない。教会の組織や実践方法や成員の生活は、社会文化的制約や影響を必ず受けている。西欧であろうが東アジアであろうが、それらの影響が全く無いなどということは通常ありえない。日本ももちろん、その社会文化の文脈において、もしくは継ぎ接ぎを作り出して、教会を運営している。

 

そのことを忘れて信仰を主体的にもつ個人の集合が教会の実体「である」と考えるのは、非現実的だと思う。スローガンにはなり得るけれど、実際の姿であるとは限らない。

 

以上、切れ切れだが、心しておこうとメモ。

 

記事へのアクセスの傾向

ミーちゃんはーちゃん様のブログ 一キリスト者からのメッセージ に取り上げていただいたところ、一日でアクセスが100を超えてびっくりしております。

 

Bluebelleはこのブログでは独白の形式をとっており、元々ひきこもり傾向があるため、アクセス向上には特に力を入れず、淡々と書いていこうと思います。お付き合いくださっている方々にはこの場を借りてお礼を申し上げます。

 

これまでのアクセスを見ると、「プロテスタントと一口に言うけれど」がずっと一位で(とはいえ実数は少ないですが)、検索ワードに「プロテスタントとは」が使われているようです。

最近のご報告まで。

若い人しかいなかった教会にコメントをいただきました。&先行きの手探りについて

以前このブログでミーちゃんはーちゃん様の記事とURLを参照させていただき、それをきっかけで記事を書きましたとお知らせしたところ、読んで下さり、ご自分のブログにて「若い人しかいなかった教会その後(ケーススタディ)」と題してコメントを下さった。

http://voiceofwind.jugem.jp/?eid=902

 

私の経験に関して、なるほどそうか、と理解する助けとなりました。ミーちゃんはーちゃん様、どうも有難うございます。かなり平坦な記述なのに、親切にお礼を述べて下さって恐縮です。

 

さて、その内容について。やはり私の今までの信仰生活は見直すべきものだったとの確信を新たにした。

 

「形から入るメガチャーチ、エッ」

という見出しからは、ミーちゃんはーちゃん様が驚かれたことが分かる。私は今までやはり、ぼんやりとしていたのだなと思った。結果的にはもうその中にはいないが。情けないことではあるが、未だに「牧師はそう言うんだから逆らったら罰が当たる」と言ってそのまま残っている人もいるので、立ち消えにならない限り、その方向でがんばるのだろう。また、立ち消えになったとしても牧師は、みんな分かってくれない、と何がいけないのか気付かないまま時が過ぎていきそうな気がする。

しかしこうしてミーちゃんはーちゃん様がご説明くださった、アメリカのメガチャーチが成立する背景は、説得力がある内容だ。

(以下引用)

基本、あれができるのも、野外集会以来の会衆者を集めるという伝統があり、チャーチホッパーがやたらとたくさん存在し、1日に教会を2件も3件も、(多くの場合は祝福されることを求めて、ということらしいが)はしごする人たちや、教会にある特定の牧師のグルーピーのような人々が回ってくるからこそできる芸当で、そんなバブルの化身というのか、バブルの化石のような教会堂を持ってしまえば、あとが面倒だし、掃除やメンテナンスコストはバカ高い。カリフォルニアのような乾燥した気候でない限り、日本でそんなものを作った日には、エアコン代とエアコンの電気代がバカにならない。身の丈を知る必要があるような気もするのだが。

(引用ここまで)

 

こんな意見をできる人が教会内にいなかったので、今そのまま「メガチャーチ作らなくちゃいけない」と思ってる人は、どうか、検索でヒットして、目を覚ましてくれればと思う。

 

「アメリカにあこがれた教会と教会員の考現学

との見出しの下には、昔若者ばかりだった現在の教会の先行きの見えなさと手探り状態について、このようにお書きである。

 

(以下引用)

 その意味で、閉塞感が今、若者しかいなかった教会にも漂っているのだろう。若者しかいなかった教会も、他の日本の多くの教会と同じように、目標もなく、経済成長もなく、信者の成長もなく、という閉塞感のキリが漂い始めているのかもしれない。

(引用ここまで)

 

また、「アメリカ型キリスト教キリスト教だったある日本の教会」という小見出しの項では、アメリカ風のキリスト教以外は想像がつかないだろう、という私の想像に対し、これもビックリ、それこそアメリカらしいキリスト教の捉え方をしているのではとのご指摘である。

 

(以下引用)

これは、まさにアメリカ人なのだ。前にも書いたが、アメリカに生まれたからキリスト教徒だと、いけしゃあしゃあと言ってのけるキリスト教徒の精神性とキリスト教理解である。要するに福音派しか知らず、「福音派めっちゃ最高!」ならまだしも、「自分たちの教会マジ最高!!Yeah!!!」という感じなのだろう。まぁ、それはそれで幸せなんだろうけど、あるミーちゃんはーちゃんの友人がいった「伝統教派が持つ、どんな不幸な状況にも耐えうるだけの強度が不足している」ということにならなければいいんだけど。下で紹介したRacheal Held Evansみたいな動きが出たときに、教派の違う教会との交流がないとすれば、そういう人が日本の伝統教派にたどり着くのは難しいだろうし、仮にそうであっても、勇気を出して見られて、良い教会に合流できたらいいよなぁ、と思う。 

(引用ここまで)

 

ええーっ…

アメリカ人ないしキリスト教の歴史をもつ他の国でも、国籍=宗教とか、人種=宗教といったように単純に捉える人がいるのは知っていたが、日本の場合、クリスチャンは明らかにマイノリティだし、この論法は日本人のクリスチャン、それも一世には当てはまらないのは明らかなのだが、この論法自体を輸入してしまっているのかも?!と気付き、びっくりした。

 

私はマクグラス氏の本は読んでないけど、「1950年代から70年代のアメリカのキリスト教を2020年のポストモダン社会の日本で再現する」

とのミーちゃんはーちゃん様の表現に苦笑した。

それは有り得そうな気がする。

 

私は結局、ミーちゃんはーちゃん様がご紹介のRachel Held Evansさん(説明しか見ていないがおらず、まだ中身を読んでいないが)みたいにそこを出て、も何か信仰や教会に疑問を感じて再検討するような状況に置かれたのだろうか。とにかく私は自分の信仰とはなにか、教会とは何ぞやなどと考え、聖霊派とは異なる伝統的な教会にお邪魔するようになった。それがきっかけで、ブログを始めるようになった。

 

教会の先行きという点で共通の難しさだと感じるのは、私の記事で記述した「昔は若い人ばかりだった教会」だけでなく、ほかの教会でも、少数の教職者しか「ポストモダン」を意識していないように見えることである。私も含め、多くの人は、今は近代のはずなのに時代感覚がなにかぼやけている、と感じ、近代に磨きをかける方法でしか「ぼやけ」を払拭する方法を知らない。それで空回りする状態になっている気がする。たとえば最近お邪魔している教会でも、信徒の意識はマックス・ウェーバープロテスタントの職業倫理(古い!)をそのままプロテスタント信徒の生活のフォーマットだと考えている人に出会う。社会生活のうえで、その職業観や個人観が信仰と合致している(ことになっている)。しかし私が思うに、それは産業革命以降の時代限定的な社会変化であって、それが普遍なのではない。それをプロテスタントの信仰の普遍的成立条件として捉えてしまうと、近代に拘泥する結果になってしまう。ポストモダンに生きる信仰を意識することで何が建設的に立ち上がるのか、信徒と教職の対話があるとよいのにな、と最近思っている。

 

再度、ミーちゃんはーちゃん様、取り上げてコメントをいただき、勉強になりました。有難うございました。

知らない教会用語に出会う


二つ前の投稿の、「昔は若い人しかいなかった教会」しか知らなかった というか、積極的に他を知ろうとしなかったせいで、別の教会の礼拝やその他勉強会などで私の知らなかった言葉に出会っているところである。


前の聖霊派の教会では、以下の言葉が使われているのを聞いたことがなかった(知らないのは私だけでほかの人たちは知ってたのかもしれない)。


「福音記者」

ヨハネ、マルコ、マタイ、ルカのことらしい。

ひょっとして前の教会は、記録者と位置づけることはあっても、記者と呼ぶのはためらうかもしれない。


「平和」

新改訳聖書で平安という日本語が使われている箇所を、新共同訳聖書て見ると、平和という語がかわりに使われていることがある。

前の教会では、あなたに平安がありますように、とは言っても、平和がありますように、とは言わなかった。

ほかにも随分訳し方が違うところがあるよ?

こういうことがあるから、ギリシャ語やヘブライ語で何と書かれているかチェックする必要が出てくるんだな。

原語のチェックは理解に必要だと思う。


「受難」

クラシック音楽のタイトルなんかで聞いたことがある言葉だが、定義は知らないし使ったことがない言葉。イエスが十字架に付けられて死なれるまでのことを言うのだろうか?それとも3日後の復活まで?


NCC

「JEA」

そういう全国組織があるのだな…


「教区」

外国だけかと思ってた。


「洗礼盤」

洗礼の水を入れる石の器。当番の人がメンテナンスしていることが分かった。


「ニッキ」

にちき でも、ひもと でもない。

教派ではない。


「おんまえ」

御前 と書く。みまえ と読む場合と、おんまえ と読む場合とがある。

御父 の場合も同様。


ちなみにこれらの言葉を使ったら、前の教会では、浮くこと必至。

書いてあれば意味が分かるけれど、口頭で言われたら一瞬「?」なのであった。






牧師に対するサポート体制がある教会もあるんだな


別の教会に通い、今まで知らなかったこと、気づかなかったことに気づく。


私が最近お邪魔している教会では、教団内の別の牧師がたまに礼拝の説教に来る。教区としての活動などもある。つまり教会間での人のシャッフルが結構ある。

牧師どうしで話し合ったり、役員会が定期的に開かれていたりする。


前の教会ではそんなことがなかったので、協力態勢はどうなっていたのだろう、と考えた次第。

以下、前の教会について。

余計なことかもしれないが、同じような教会もあるかもしれないし、案外重要な事だと思うのだ。


私が前に通っていた教会は、元々はとある日本の教会の枝教会として始まった。親教会の信徒が数家族、別の地域に引っ越すことになり、それならそこに枝教会を、ということになったようだ。

だからその頃の親教会との連絡は続いていただろうと思う。


その後、私は詳しく知らないのだが、私が数年留守しているあいだに、この枝教会は一時活動を停止したのち、海外の某教団の傘下に入り、活動を再開していた。牧師が積極的に働きかけて入ったらしい。


見た感じは前と変わらなかったのだが、新たな教団の方針に沿って学びのプログラムなどが実施された。

といっても、メンバーの半数以上が前と変わらず、新たな教団の下で人がシャッフルされることもほんの僅かだったし、活動があまり無く、どちらかといえばのんきな教会だったせいか、あまり変化は見えなかった。


今一呼吸してから振り返る。様々な

疑問が浮かぶが、その中の一つは、牧師は一人きりで頑張っていたのでは、というものである。色々な点で。


新たに参加した教団の中には、いくつか日本の教会がある。

しかし教団内の別の教会からこの教会にくる人はほとんどいなかった。

その教団の持つ小さな聖書学校から一度、これから牧師になるという学生が実習に来たことがあった。

あと、教会の最初期からいるご家族の長男がその聖書学校で学び終え、副牧師になった。その学校に在学中は、教団内のほかの教会にも出入りしていたようだが、近年はそんなことも無いようだ。


教団内のほかの教会と接触するのは、一年に一度のサマーキャンプくらい。

あと、教団の大元(海外)でのセミナーなどに数年に一度、牧師が出席していた。


誰が役員なのかは公言されていないが、たまに古いメンバーが「役員からお知らせ」したりするので、いちおう役員という肩書きは存在していることが分かった。

しかし役員会というものは開かれていなかった。


そうこうするうちに、私はその教会を離れた。

その過程で、牧師は教会の先行きや家族の今後など、いろいろと悩んでいるようだと知った。


しかし私はそれまで、そんな問題があるなんて知らなかった。牧師が突然「献身が最も優れた道」などと教会員を説得し始めたのは、一人で悩んだ末、突然結論に飛躍していたんだな、と今は話の筋が見えるけど。


しかし、一人で頑張り続けている牧師はたくさんいるのだろうなあ。元々、人に助けを求めるのが苦手な人もいるし、この教会に限らず、単立の教会の牧師だったり、神学校での同窓がいないなど、牧師がケアされる環境がないこともあるだろう。

そういう牧師へのカウンセリングのようなものがあれば良いのだろうな、と思った次第。