プロテスタント教会さがしについて
まあ、いろいろあるので、また頭がぐるぐるしている。
他の宗教や宗派と行動を共にしている教会や、共通点を説教に盛り込む教会もあるが、
どこまでが「寛容」や「共生」で、どこが譲れない線か、見極める必要があるなと思う。
リベラルであっても「本当に」三位一体の神を信じる人がいることもあるだろう。
リベラルで、キリスト教を冠婚葬祭の制度的な型式としか思っていない人もいるだろう。
その点、バリバリ聖霊派で、しかも土地や建物を持たない、信仰が中心的な価値の教会なら、形式で来ている人は少なそうだが、前の教会でぜんぜん来なくなった二代目達は親がクリスチャンなので自分もクリスチャンと言っているから、ボーンアゲインとか堅信礼とかいう概念はすっ飛ばされることもあるのだ。
しかしどんな教会でも、親が信徒だから、という理由で来る人はいるんだろうなあ。
親の他界に際して、「一応、神が万が一いたときのために」クリスチャンになっとくか、といった、うっすらした信仰の人もいるだろうが、これは私の弱い信仰と地続き、つまり程度の問題なんだろうか。
今日はまさにそういう「親が」という人に会ってしまった(同性)。だけど神がいるなんて信じてないのだそうだ。電話番号教えて、とけっこうしつこかったので、まだよく知らない人には教えません、と言い続けた。
ここまで書いて、ふと気付いた。
教会に求めるものが、違うんだな。私が求めているのは、神を信じている人との祈りや交わりであって、神を信じていない人との地域センターを欲しているわけじゃないのだ。
地域の活動と連携してる教会なら、こういう肩すかしはたくさんあるんだろうな。
しかし私の感覚としては、信仰告白を信じていないのに型としてペラペラ口から出すのは、良心が痛むから、自分にはできない。
同時に、完璧な教会はないのだから、目立つ人の言葉を聞いて裁かない事も大切だろう。
まだまだ落ち着きそうにない。